Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

テレビ時代の終焉―「笑っていいとも」の番組終了の意味

「笑っていいとも!」が終焉を迎えた。

正直なところ、今の僕にとっては、それほどショックでも、悲しくもない。

なぜなら、長い間、ずっとこの番組を見ていなかったから。見ていない番組が終わることに、心は動くはずもない。職場の食堂で、いつもこの番組が流れているわけでもなく、また昼に僕は食堂に行かない。。。

けれど、僕ら世代の誰もが、この番組を通ってきた。

僕も小さい頃、この番組を何気なく見ていた。大好きなバンドのメンバーが登場する時は、ビデオ録画に命をかけた。X JAPANのYOSHIKIとか、BUCK-TICKのあっちゃんとか。

https://www.youtube.com/watch?v=tr0pZE5u3EE

笑っていいとも!は、僕ら世代から上の人たちが「みんな」見ていた番組だったと思う。

***

今回のこの番組の終焉は、その「みんなの番組」の終焉を意味しているように思えてならない。

タモリ、ビートたけし、明石家さんま、テレビの黄金期のビッグネームが、今日のテレビを賑わせた。

この三人を超える「テレビスター」が今後、生まれるようには思えない。今のところは特に。

「お茶の間」という言葉も、もはや「死語」になっている。

「大衆」=「みんな」を虜にするような番組もタレントもスターも、もう出てこないように思えてならない。

というのも、もう「大衆」=「みんな」が、テレビに何かを期待しなくなったからだ。

テレビの時代は終わった。

それは、「視聴率云々」の話じゃない。今だって、どの家にもテレビはある。

だけど、みんなが、テレビに期待しなくなった。テレビの影響を受けなくなった。

テレビの「神話」が崩れてしまい、テレビに依存することもなくなった。

テレビの話題で盛り上がることも、今はほとんどない。

笑っていいとも!は、数ある番組の中でも、ある意味でみんなの話題になるような番組だった。

みんなの話題になる番組がなくなった。

そこに、大きな意味が潜んでいるように思う。

僕は、この「大衆」=「みんな」の終焉を、「近代化の(ある種の)完了」と見なしている。

個々の人が、各々の関心をもち、各々の好みが大切にされる時代になった。

それは、「みんな」という共同幻想が崩れ落ちて、「個人主義」的な生き方が可能になった、ということ。

自分が好きなものや興味のあることが、人と違っていていい。それが許されるようになった、ということ。

そして、「権威」となるものが、存立しなくなった、ということ。

僕としては、この変化を歓迎したい。

***

ただ、その一方で、「スター」になる夢も、成り立たなくなった。

「タモリ」は、やはりかつての時代の「スター」だった。

誰もが知っていて、巨万の富を得た(と思われる)スターだった。

笑っていいとも!には、誰もが出演を夢見た。

僕も、大昔、笑っていいとも!に出演するのが夢だった。本当に夢に出てきた。

そんな「夢」も、今の時代では、叶わぬ夢となっている。

お笑いでも、バンドマンでも、タレントでも、全部同じ。

「テレビ幻想」が壊れた今、「お茶の間のスター」になることは絶望的に難しくなった。

視聴率が取れないのも、CDが売れないのも、同じ原理に基づいているように思う。

「大衆の支持が得られない」→ゆえに「メガヒットが出せない」、という論理。

一部のコアな層に支持されることはできても、「一般に浸透する」ことはできない。

***

テレビという絶対的基盤を失った僕らは、どこに向けて、どう発信すればいいのかの指標を失った。

テレビの代わりにネットが普及した、と人は言う。

しかし、ネットの効力は、かつてのテレビには到底及ばない。チャンネル数が途方に暮れるほどに多すぎる。

しかも、安定性がないので、話題になっても、あっという間に風化する。

多分、僕ら「団塊Jr」が、最後の「みんな世代」なんだと思う。

しかし、その団塊Jrでさえ、もう個々にバラバラになっている。すっかり解体させられたように思う。

(とはいえ、僕ら世代なら、「光GENIJI」の話をすれば、大体盛り上がれる)

わけのわからない「大衆」という不気味な存在の息の根が完全に途絶えたものの、その結果として得られたのは、個々バラバラな関心であり、つながりようのない個々の話題だった。

もはや、「同じ世代」だ、ということで、すぐにつながれるような時代でもなくなった。

ネットの普及で、「つながり」自体は、とても簡単に持続できるようになった。

けれど、見知らぬ誰かと、すぐにつながれるような「接点」もなくなった。

いいか悪いかは別として。。。

つながるメディアがどんどん増える一方で、つながる話題はどんどんなくなっていっている。

僕ら人間は、これから、何を支えにして、人とつながっていけばいいのだろう?!

「みんな」という幻想が壊れた今、まさに、このことが問われているように思えてならない。

コメント一覧

sehensucht
古い記事へのコメントありがとうございます!

「人間の普遍的な欲求、または普遍的な気持ちよさでしか、つながれなくなる」というご指摘は、とても興味深いです。

例えばどのような欲求や気持ちよさがありますか?? 知りたいです!
noha
ほぼ正確なご意見だと思います。
ただ、つながれるような「接点」に関しましては、今後は、誤魔化しが効かないというか、人間の普遍的な欲求、または普遍的な気持ちよさでしか、つながれなくなる、と個人的には思っています。そしてそれは結局、よいことだと思うのですが。

https://www.youtube.com/channel/UCjA85jGRRVOWePC2ILK6ZRg
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