Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[翻訳] 外国語の習得

久々に翻訳モノを。

テーマは外国語の習得の意味について。なかなかいい文章だと思った。これは大学院の試験問題となっているもので、大学四年生レベルの文献ということになるのかな。ドイツ語的にはなかなかのレベルかな。内容的には大学一年生程度だと思う。

外国語を習得する時、われわれは子どもの経験に似た経験をするだろう。外国語の習得の場合、新しい語彙を獲得したり、抽象的・文法的規則をもつ新しい体系に慣れ親しんだりすればよいというわけではないのだ。これらすべては、必要ではあるが、最初のステップでしかなく、最も重要ではないステップでしかない。もしわれわれが新しい言語で考えることを学ばなければ、われわれの努力はすべて報われなくなるだろう。多くの場合、この条件(新しい言語で考えること)を満たすことは極めて難しい。

意識の発達の後期の段階、つまり意識の発達が進んだ段階では、われわれが言語の世界に足を踏み入れた時の手続き(Akt)を最初からもう一度繰り返すことはできないのである。逆説的だが、新しい言語を会得することよりも、古い言語を忘れることのほうがはるかに難しいのだ。大人にとっての客観的世界はすでに確固たる様態を呈しているが、それは、厳密な意味でまたわれわれの行為のすべてを規定している言語的行為によるものなのである。われわれのもろもろの知覚、直観、概念はわれわれの母国語の主な表現や言語体系と一体となっている。これらの言葉と事物の結びつきを再び解体するために、人はかなり労せねばならない。けれども、われわれが新しい言語を習得し始めようとする時、われわれはまさにこうしたことをせねばならず、この二つの要素を引き離さなければならないのである。


なるほどなぁ~と思った。たしかに僕らの思惟って母国語によって規定されているし、母国語を抜け出して何かを考えることってなかなかできない。何かを考えるっていうのは、母国語で何かを言語的に考えているわけだし、そこから抜け出して独自の思考体系で考えることなんて、凡人の僕らにはできるわけない。

でも、外国語を習得する時って、母国語で考えるのを一度留保しているわけだし、母国語における言語と事物の結びつきを一度断ち切るわけだし、、、

考えたら、ドイツ語やロシア語の男性名詞、女性名詞、中性名詞って、日本語的には意味不明。最初、僕も「はぁ~ 何言ってんの?」と思って、不可解に思ったものだ。でも、欧米語だと、名詞の性がないほうがレアだし、性があることで分かりやすい部分も多々ある。慣れればなんてことないし。

また、子どもの言語習得を考える際にも、いろんなことが考えられる。よく親が子にむかって「なんだ、そんな言葉もしらんのか?」と叱っている場面を見かけるが、そう言っている親は第二の言語を学んでいるのか? 言語を学ぶことの意味や辛さを知らずして、安易に子を怒りなさんな!と言いたくなる。語学の習得は、どの道すごいたいへんなことなんだから。32になって新たにロシア語をやっている僕でさえ、「おい、自分よ、よくドイツ語、ここまで学んだなぁ」と関心してしまうんだから。

言葉はとかく難しい。本当に難しい。でも、自己解体をする上で語学ってすごくいいと思うなぁ。最大の心理療法かも?!

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