先日、とある記事にコメントが届きました。コメントのなかに、若干(他人同士のコミュニケーション上)ふさわしくない言葉が含まれていたので削除させていただきましたが、そのコメントの内容は、すごい考えさせられるものでした。
その内容は、「『またお前もか系』なんて言葉を使うな。おまえは『またお前もか系』の何を知っているんだ?」というものでした。
それは、「またお前もか系」(あるいは「またお前か系」)とは何なのか。これを指す濃厚豚骨魚介とはいったい何なのか。そして、僕はなぜこの言葉を蔑視しているのか。なぜそれをブログで書くのか。そんなに「またお前もか系」はダメなのか? ・・・
そういう問いとして、僕はこのコメントを受け取りました。そして、しばらくの間、ずっとこのことについて考えていました。「ひょっとしたら、この言葉はダメなんじゃないか」とまで思いました。
が、考え抜いた結果、やはりこれは曲げてはならない考えだと思うに至りました。濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺がダメというわけじゃないんです。濃厚豚骨魚介ラーメン・つけ麺であっても、素晴らしいお店は素晴らしいですし、有無を言わせないほどの濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺はあります。僕のブログでも、本当に気合いの入った、魂のこもった、心のある濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺については、絶賛していると思います。
だから、僕の中では、「またお前もか系」=「濃厚豚骨魚介」ではないんです。最近では、淡麗系の中でも、そういう「またお前も淡麗系か」というラーメン・つけ麺が見受けられつつあります。「またお前もか系」という言葉は、その多くが濃厚豚骨魚介系なので、その文脈で使われることが多いのですが、決して濃厚豚骨魚介系に限った話ではないんです。
では、「またお前もか系」とは何なのか?
それは、「デモシカ系」と言ってもいいかもしれません。かつて、教師の世界では、「デモシカ教師」というのがたくさんいたといいます。「先生でもやるかなぁ~」、「先生しかやるもんないしなー」といった消極的な理由で教師になった人を侮蔑する言葉でした。かつて教員が大量採用された時代があり、その頃、たくさんの人がそういう理由で先生になったんだそうです。(当然、モチベーションが低いので、質の低い教師が激増した、といわれています)
「またお前もか系」は、まさにこのように、「濃厚豚骨魚介でもやっとくか」、「濃厚豚骨魚介しか作るもんないしなー」といった、消極的な意味で作られたラーメン・つけ麺のことを指すのです。だから、ラーメン・つけ麺が悪いわけじゃないのです。気持ちの入っていない、モチベーションのない濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺が激増した、ということに対して、「またお前もか系」という言葉が使われているのです。
もちろん、中には、心を込めてつくっている「またお前もか系」のラーメンというのもあるかもしれません。僕のブログでも、「またお前もか系」と評されたお店の店主さん、店員さんが読んだら、カチンとくると思います。「こっちだって、必死に、真剣に作ってるんだ。ガタガタ言うな」、と思うかもしれません。
そのことは十分に理解しているつもりです。
でも、それでも、僕が「またお前もか系」と使いたくなるのは、たとえそのラーメン・つけ麺を心を込めて作っていたとしても、それが従来の「既成の枠組」の内にすっぽりと収まっているケースが圧倒的だからです。創意・工夫が感じられず、既成の枠組の内部に収まっている濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺は、本当に実に多いです。それは首都圏に限りません。あらゆる都市にこの味が浸透しつつあります。それ自体は決して悪いことではありません。現に、濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺は人気ありますからね。売れるとは思います。
しかし、そうした創意・工夫なき濃厚豚骨魚介ラーメン・つけ麺が、またラーメン界全体のレベルを下げてしまう、ということもあるのです。劣化した濃厚豚骨魚介を食べた人が増えれば増えるほど、濃厚豚骨魚介のイメージが悪くなります。イメージが悪くなれば、濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺を回避するようになります。
10年以上前、ヴィジュアル系でも同じことがありました。98年頃以降、「なんちゃってヴィジュアル系バンド」がアホみたいに増えました。たいして好きでもないのに、見た目だけヴィジュアル系の格好をして、それっぽい歌を歌って、売れたバンドもたくさんいました。僕は80年代から、ヴィジュアル系という言葉が出る前からその世界を愛していましたからね♪(どうでもいいけど、、、)。90年代末期、ヴィジュアル系はみんなにバカにされました。その原因にあったのが、ニセモノのヴィジュアル系バンドでした。「ヴィジュアル系をやっとけば売れる」、「ヴィジュアル系しかするもんないしー」、という考え方が蔓延していたと思います。もちろんバンドマンのみならず、事務所やレコード会社も同じような考え方でした。エクスタシーレコードやフリーウィルレコードやデンジャークルーなんかは元祖・大元ですが、ヴィジュアル系で稼ごうとした人たちがごそっと集まったのも、またこの時代でした。
濃厚豚骨魚介系ブームはすごいものがありました。かつての味噌ラーメンブーム、豚骨ラーメンブーム、魚介ラーメンブームの比でないくらいに圧倒的な支持を集めたと思います。がゆえに、それを安易にパクるお店が激増しました。もう、どこを見ても、濃厚豚骨魚介っていう状況がずっと続きました(そして、現に続いています)。もちろん、その中には、とても素晴らしい濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺を提供するお店も多々あります。でも、そういうお店の濃厚豚骨魚介系ラーメンは、模倣の領域を超えて、独特な何かがしっかり感じられるのです。ミメーシスではないアウラがあるんです(ややこしいですね)。つまり、オリジナリティーがあるんです。
なぜ僕がラーメンなのか、といえば、それは答えがないからです。ラーメンには、目ざすべき「型」や「理想像」が規定されていないんです。他の料理以上に、発想の柔軟さ、自由な思考、奇抜なアイデア、幅(レンジ)の広さ、教養、知性、イマジネーションが強く求められるのです。それから、地域性。地域によって、イメージされるラーメンの像(Vorstellung)が違うんです。スープのみならず、麺も違うし、トッピングも違うし、器も違うし、店主さんの生き方やスタイルも違います。同じ「ラーメン」なのに、その内容は千差万別なんです。それこそが、ラーメンの魅力なのです。(これは決して僕だけの意見ではありません)
「またお前もか系」を僕がやや差別的に使うのは、上に述べたようなラーメンの魅力を守りたいからです。そんなのお前の勝手だといわれたらそれまでですが、でも、それは僕の信念でもあるし、僕がラーメンにこだわる部分だからです。これは曲げられません。それは教育においても、ヴィジュアル系においても、強くこだわっている部分なのです。信念、ですかね。
当然、どれも「文化的なもの」ですから、パクリはあっていいんです。っていうか、パクリなしで、文化は成立しません。でも、それをただパクるだけじゃなくて、どうそこに自分らしさやそのお店らしさを付け加えるか、ということが重要になると思うんです。あるいは、その既成の枠組をどう壊すか、ということが大切なんです。日本人は、パクるのが上手です。でも、ただパクるだけじゃなくて、それをより良く改良するのが得意なはずなんです。
そのためには、知恵や工夫、創意、試行錯誤、いろんな努力が必要なのです。そうした努力が垣間見えるラーメン・つけ麺であれば、僕は何も申しません。美味しいか不味いかは、人それぞれが決めることです。ただ、ラーメンを文化として捉えるならば、美味しいか不味いかではなく、そこに物語があるか、そこにオリジナリティーがあるか、そこに産みの苦しみがあるか、ということが問題となってきます。
濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺を創造した人たち、例えば渡辺樹庵さんや大橋英貴さんや富田治さんなどは、強く尊敬しています。本当にすごいと思うし、かっこいいなぁって思います。たとえ同じ濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺であっても、やはりそこに創意や工夫の結晶が見られます。文句を言わせぬ説得力があります。(それは、ヴィジュアル系という言葉がなかった時代にその礎を築いたX JAPANやD'ERLANGERやZI:KILLやLUNA SEAに似ています)
「またお前もか系」は、決して「濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺への侮蔑」ではないんです。そうではなくて、安易にパクって、それをそのまま出してしまう現実(事実)に対するアンチテーゼなのです。
今回、コメントを頂いて、考え抜いた後の意見を語ってみました。
ご意見をくださった方、どうもありがとうございました。削除してしまい、申し訳ありません。ご勘弁ください。
つけ麺に多く見られるように思います☆
この三つ、全部当てたらすごいですね、、、