Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

ドイツで東京オリンピックはどう語られたか?

2013年9月9日のドイツの新聞各紙で、日本でのオリンピック開催についての記事が掲載されていた。フランクフルターアルゲマイネ紙では、一面トップにこのニュースを取り上げていた。

以下の記事は、Süddeutsche Zeitungの記事の邦訳です。


 

Süddeutsche Zeitung 9.9.2013
東京の二度目のチャンス

福島の放射能の浸水箇所、激しく人種者別的な発言を繰り返す政治家、ぐらぐらしておぼつかない国家財政、歴史の忌々しき否認、台湾、中国、韓国、ロシアとの領土争い、アスリートを折檻する(さんざんに殴る)訓練文化。オリンピックを東京で行わないという議論は十分にあった。IOC(国際オリンピック評議会)は、この点をわざと見逃した(看過した)。魅力が大きかった。東京は、支障なく組織化された非の打ちどころのない大都市で、商業的(kommerziel)に魅力的なのだ。

日本と安倍内閣は、ICOの落札(人札による契約)で二度目の(オリンピック開催の)チャンスを得た。安倍は、1964年の夏のオリンピックを思い出す。日本の高齢者にとって、この年のオリンピックは、急速な高度成長期での一つの一里塚(画期的出来事)であった。そして承認へと。当時、ニッポンは近代世界に立ち戻ってきた(*戦時中の日本は近代から外れていったと考えられている)。広島と長崎の原爆と日本の無条件降伏から19年、日本は再び世界へと開かれ始めていた。

安倍は経済のことを考えている。しかし、1964年のオリンピックから、また平和のメッセージを発信するようになった。安倍首相は、平和条項(Friedenspragrafen)を憲法から除外する代わりに、これを手本にすべきだろう。Buanos Airesで得た信頼をもって、彼は近隣諸国に歩み寄り、その近隣諸国との領土争いの問題を解決すべきである。これこそが、オリンピックのねらい(Tat)ではないだろうか。


 

Frankfurter Allgemeineのトップの社説のタイトルも「日本のチャンス」だった。

こっちの新聞では、日本の政治的安定と経済的優位性が、日本勝利につながったとみている。また、ライバルだったスペインが経済的に不安定であり、また政治的にも日本ほどの安定性をもっていない。そうした視点ももっておきたい。また、オリンピックは今なおスポンサー頼りである。日本はまだ経済的にはかなり強い国であり、マーケットとしても規模が大きく、IOC的にも魅力的だったのだろう。

日本人としては、あまりこの決定を感情的に喜ばずに、冷静に見続けていきたい。たしかに、冷え切った近隣諸国との関係回復の大きな契機になり得るし、また近隣諸国に排他的な人たちや(かつてのそれとは違う新しい)レイシストたちへの一つのメッセージともなり得るだろう。

 

***

追記

この記事は、ドイツから日本に帰国する飛行機の中で書きました。

けれど、ますます日中関係や日韓関係は冷え込むばかりです。日韓に至っては、もう「国交しているのか?」と思うほどに、疎遠になってしまっている印象さえもちます。

過去にないくらいに、冷え込んでいるような、、、

それから、「アスリートを折檻する訓練文化」という言葉に、ますます惹きつけられる自分がいます。世界から見れば、日本のスポーツマンたちは、皆、折檻を受けている、ということです。それがいい・悪いは抜きにして、日本の体育会系文化は、世界と大きく異なっています。これを「かわいそう」と見るか、それとも、「それこそが日本のスポーツ文化なのだ」と開き直るか。

スポーツって何なんでしょうね。今となっては、すっかり分からなくなりました。。。

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