昨日、僕の大好きないとこのお兄ちゃんが天国に行ってしまった。
突然のことで、本当にビックリした。今朝、実家からの知らせで突然聞かされて、動転してしまった。ショックというよりは、まだ「否認」の段階にあるような・・・
僕は、母方のいとこの中では一番年上で、「お兄ちゃん」と呼べるいとこはいない。兄弟は弟だけだ。父方のいとこで年上のお兄ちゃんは二人いるが、一人とは全然コンタクトをとっていない。なので、僕にとって血のつながった親しいお兄ちゃんというと、そのお兄ちゃんしかいないのだ。
お兄ちゃんといっても、僕よりずっと年が離れていて、いつも「雲の上のお兄ちゃん」って感じだった。かっこよくて、僕の誇れる兄貴だった。車が大好きで、タバコが大好きで、クールで、かっこよかった。
いつも親戚の集まりがあると、そのお兄ちゃんのそばに行って、いろいろと話を聞かせてもらった。そのお兄ちゃんが大好きだった。きっと僕の「兄貴好き」は、いとこのお兄ちゃんのおかげだと思う。10歳くらい年の離れた人が大好きで、いつも僕の近くには「お兄ちゃん」がいた。
そのお兄ちゃんから、かつて一冊の本をもらったことがある。「サイクル野郎」という漫画だ。きっとほとんどの人が知らないであろう漫画だが、フリークの間では超愛されている漫画。お兄ちゃんは、この本を読んでか、僕が小さい頃、東京から僕の住む三重県に自転車でやってきたことがあった。まさに「サイクル野郎」だった。
この本の一巻だけをお兄ちゃんからもらった。
その後、この本を全巻揃えたいと思い、昨年までずっとずっと、20年くらい「サイクル野郎」のコミックを探し続けた。そして、昨年全巻そろった。僕の人生において、「サイクル野郎」ほどに影響を与えてくれた漫画はない。輪太郎は僕の心のヒーローだ。徳島市でサイクル野郎を6冊くらい見つけたときは、飛び上がるほどに嬉しかった。
そして、僕もお兄ちゃんと同じように、自転車で旅をした。名古屋まで自転車で行った日のことはいまでもはっきりと覚えている。
もう、あのお兄ちゃんと会えないんだ、と思うと、胸が締めつけられる。
最近は忙しすぎて、あるいは大人になって、なかなか会えなかったけど、僕の心の中では、お兄ちゃんはでっかい存在だった。最後に会えなかったのが悔しくて悔しくて・・・
最近、身近で「死」が本当に増えてきた。悲しいけど、いよいよ自分の人生も、「別れ」が増えていく時期に来たんだと、受け入れていかなければならないのだ。
僕はまだ生きている。けれど、いつか、どこかで、この僕も終わる。でも、生きている限り、誰かの死を見続けなければならない。嫌だけど。悲しいけど。
命あるものはいつか終わりを迎える。それは最も自明のこと。でも、実際に身近な他者が終わりを迎えると、残された方はとてつもなくやるせなくなる。どうしようもなくなる。もしかしたら僕らは「終わり」が何を意味しているのかを考えないで、生きているのかもしれない。
死を忘れるな。この言葉の意味はとても重たい。