Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

大田3児遺棄事件と世間の声

昨日、びっくりするような事件が報道されていた。


東京・大田の3児遺棄:「不明の長男、02年死亡」 逮捕の夫婦供述

毎日新聞 2013年10月31日 東京朝刊

 生後間もない次女を捨てたとして、保護責任者遺棄容疑で逮捕された東京都大田区の無職、戸沼英明(32)と妻のホステス、千恵美(31)の両容疑者が、行方不明の長男について、「2002年に生まれた後に死んでしまい、怖くなったので当時住んでいた埼玉県上尾市の自宅近くに捨てた」と供述していることが捜査関係者への取材で分かった。

 警視庁捜査1課は、周辺で乳児が見つかった記録がないか調べている。2人はこれまでに長男ら3人を捨てたと供述し、出産直後に遺棄された長女(3)と次女(2)については無事が確認されている。

 都家庭支援課や警視庁によると、04年12月、英明容疑者らが当時住んでいた北区の北児童相談所(北児相)に「子供が虐待されている」との情報が寄せられ問題が発覚。北児相は虐待の疑いがあるとして生後4カ月だった次男(9)を保護した。両容疑者は住民票に記載のある長男については「親戚に預けている」と説明し、以降行方をくらませた。

 そのため北児相が05年2月、親戚に確認してうそが判明。今年8月、千恵美容疑者が大田区に住民登録したことを突き止め、田園調布署に9月に通報した。

 両容疑者が昨年まで住んでいた大田区内のアパートの大家の男性(77)は「約3年前から住んでいたが、家賃はほとんど払わなかった。子供がいた様子もなく、昨年11月に荷物を残したままいなくなった」と話した。【松本惇、神保圭作、藤沢美由紀】

 ◇児相「05年相談」 警視庁「記録ない」

 事件が動き出すきっかけは、北児相が年に1度の戸籍の確認作業で千恵美容疑者の大田区への転入をつかんだことだった。北児相が長男の行方不明を認識してから8年半。警視庁による捜査はようやく始まったが、都によれば、05年4月には赤羽署に相談していたという。警視庁側は否定しており両者の言い分は食い違うが、早い段階で捜査に乗り出せていれば長女と次女の遺棄事件は防げた可能性があり、経緯の検証が求められる。

 都家庭支援課によれば、英明容疑者らは北児相に「長男は生後数カ月から都内の親戚に預けている」とし、親戚の連絡先も告げたという。ところが04年12月末、その前に住んでいた埼玉県上尾市から北区に転入届を出した後、連絡が取れなくなった。親戚も「預かったことはない」と話したため、北児相は親戚に長男の捜索願を出すよう依頼した。

http://mainichi.jp/select/news/20131031ddm041040076000c.html


この事件は、「赤ちゃんポスト」の基礎を理解する上でとても明確な事例になると思う。

詳しい解説はしないけど、この事例は、都内に赤ちゃんポストがあって、それがこの親に理解されていたならば、まさに赤ちゃんポストがこの親と子どもを救っていただろう。

赤ちゃんポストがあったら、子どもの命が守れただけでなく、親が「逮捕」されることもなかっただろう。

今、子育てはある一面で過剰になり、ある一面で激細りしている。過剰な親意識によって心理的に追い詰められたり強度のプレッシャーを感じている子どもは多い。その一方で、親が親としての最低限の責任を果たせず、遺棄したり、殺害したり、虐待したりしてしまう事態も増えている。

こうした問題に対して、「この親が悪い」、「この親は最低」、「子どもがかわいそう」という批判は、極めて傍観者的で、極めて評論家的な批評であり、マスコミが繰り返す「批判のための批判」でしかない。

こうした親が、繰り返し繰り返し出てきてしまうことの背景、こうした親が「あいもかわらず」出てきてしまうその背景を明らかにすることが必要で、個々の「親」を罵倒しても、こうした事件の撲滅にはならない。考えなければいけないのは、「なぜこうした親が、今のこの時代に、生まれているのか」ということのメカニズムである。

にもかかわらず、こうした事件が起こるたびに、「親個人」を非難し、罵倒する言葉が並べられる。メディアもそうだし、ネットでもそうである。「こうした親をどうしたら救えるのか」という問いはでない。当事者的、あるいは支援する側の立場からのコメントは極めて少ない。

ネット上のコメントがかなり過激なので、それを少し残しておきたい。発言者を責めるつもりはない。ただ、そうした「声」が、日本の今の「考え方」「ものの見方」「思想」「価値観」を映し出していると思う。


●子供をただのゴミにしか思ってないのかむかっ(怒り)

人身売買どころじゃねぇー。何が怖くなっただ?お前らが死の恐怖に怯えろむかっ(怒り)

●無職、●●●●(32)と妻のホステス、●●●(31)のクソ馬鹿野郎は全額自己負担で窓が無い刑務所に死ぬまで閉じ込めておけ(=`_´=)!!

●・・・女は子宮とって、男は排尿以外は使えないようにしちゃえ(-_-#)  こいつら生きてる資格ないといいたいが、生きていたいなら親にさせないようにしないと分からないよ( ̄。 ̄;)  二度あることは三度ある。同じ過ちを繰り返さないようにするってことを学ばないのか(-ω-;) 子どもが可愛いんだろ。子ども1人に何千万って自立するまでお金がかかるんだから、1人育てられないなら2人目とか作るなよ

●四人も産んでおきながら吐くセリフじゃねぇやな。まして唯一、物事を考えて行動できるはずの生物なのに。でも、こんな畜生以下の人間に対する怒りよりも、ここまで露骨に「望まれず」に産まれてきた子供達が気の毒でなりません

●生活が苦しくて育てられなかった?  ふざけんなexclamation ×2  ただ単に、sexはしたいけど、子供はちょっと…ってだけの話でしょあせあせ(飛び散る汗) でできちゃっても、堕ろす為の金も使いたくない、つくりたくない、産まれちゃったから棄ててしまおうって話でしょむかっ(怒り) 親父はただのクソ野郎だとしても、母親はどうだったわけ?  お腹の中で大きくなる子供をどんな気持ちで宿してたんだ? 5ヶ月も過ぎれば動き出すんだょあせあせ(飛び散る汗) 産む時だって、何気に放っておいて、でてくる訳じゃないのにさむかっ(怒り)  何を思って棄ててしまうのか… キチガイにも程があるゎ。 こーゆー奴はsexするなってむかっ(怒り) ただの野性だな。イヤ、野性の動物に失礼だなむかっ(怒り)

● もし、捨てたのが10代の未婚の女の子だったりしたら、何かよほどの事情があったのかなあと思ったりしないこともない。もちろん、絶対に許されないことではあるけれど。 しかし、いい年こいて、夫婦揃ってて、何度も同じことをしている。なんなんこいつら?

●この夫婦にとって赤ん坊は宿便のような疎ましい存在だったようだがく~(落胆した顔)  大便が声あげて泣き叫んだから臍の緒を斬って美容院流して処分するだけむかっ(怒り) 命を尊ばず人としての慈愛が欠如したバカは自身も人と認知できない。


最初の四つのコメントが、一番「感情的」に、みんなの意見を代表しているようにも思う。要するに、「ふざけるな」、「責任とれよ」、ということを端的に感情的に訴えるコメントだと思う。

五つ目以降は、若干「反省的」なコメントになっている。

一番多いのは、棄てられた子どもを気遣いながら、その親を責める、というスタイル。「子どもはかわいそう。親は許せない」、というもの。これもまた、きっと大多数の人の感情にかなったものといえるだろう。

六つ目のコメントは、「母親はどうだったわけ?」、と疑問を投げかけている。「どういうお母さんで、どういう状況だったのか」という問いとなっている。ただ、その一方で、男性には厳しく、「ただのクソ野郎」と罵倒している。

最後のコメントは、なかなか難しい言葉が書いてあるのだけれど、最後には「バカ」と吐き捨てている。

色んなコメントを読んだが、この父母を気遣うコメントはなかった(当然だけれど)。

ここで僕が思い出すのは、大阪の二児置き去り死事件での下村さんへの世間の厳しい批判である。彼女もまた、ネットにあらゆる情報がさらされ、罵倒され、厳しく非難された。

こうした事件が起こるたびに、世間では、厳しい批判が蠢くように叫ばれる。そして、親の烙印を押し、親の罰を強く要求する。そして、児童相談所や地方自治体や各種行政機関を責め、「なぜ助けられなかったのか」、と問い詰める。

その全てが、傍観者的・評論家的な意見となっている。

当事者意識で考えれば、「どうしたらこの家族を救えたのだろう?」、「どうしてこの家族のみんなを救えなかったのだろう?」、と問うことになるだろう。上の父母と共に同時代を生きる同朋をどうしたら救えたのか、と問うことを皆ができたら、きっともっと違ったコメントが読めたんじゃないかな、と思う。

けれど、そう言ってしまうと、「じゃ、お前は、こんなクソな親の肩をもつのか」、と思われるかもしれない。僕は、この親を容認も否定もしない。そうではなく、「この親を児童遺棄に向かわせてしまったものは何なのか」、と問いたい。あるいは、「何がこの事件を引き起こしてしまったのか」、と問いたい。

極度のマゾヒストでない限り、「自分の子を捨てる」ということを喜んで(肯定的に)行う人はいない(と信じたい)。途方に暮れていたり、我を失っていたり、冷静さを忘れていたり、やけくそになったり、自暴自棄になったり、思考停止状態になったり、そもそもそういう思考力がないまま大人になったり、と、色んな背景があってのことだと思う。

遺棄する親を責めたくなる感情は理解できる。が、そういう親をいくら叩いても、これからもこういう事件が起こるし、これまでも起こってきた。

こうした事件が今後起こらないために、僕らに何ができるのか。それを大真面目に考えると、上のコメントのように、ただ親を非難するだけでは不十分だと分かるだろう。

そして、こうした悲劇を繰り返さないためにドイツで考えられたのが、「赤ちゃんポスト」だったのだ。赤ちゃんポストがこの上の親たちに届いていれば、親たちは「逮捕」されずに済んだ。もちろん、きっとさらに赤ちゃんを作っては捨てるかもしれない。けれど、そういう人間を責める権利は、僕らにはない(はずである)。

どんな人間にも生きる意味があり、価値がある。それを認めるならば、こうした父母にも、生きる意味があり、価値がある、ということになる。もし、何らかの条件下の人間に、生きる意味や価値を認めないなら、それは、そのまま、「特定集団の排除」という論理が正当化されることになってしまう。

どうしたらこの事件にかかわるすべての人が救われたのか。今後も考えたいと思う。

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