ものすごいスレッドがあった。
http://reconsider.mighteach.net/bbs_view/ctno/410/no/65243/aflag/all
この記事自体の信ぴょう性は問われるが、内容的に考えさせらるものがあった。この記事自体、「釣り」(でまかせ)ではないか、という意見もあったが、その真偽はさておき、その内容には深いものがあった。
まず、相談内容を見てみよう。
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今妊娠9ヶ月です。事情により、産む事が出来なくなりました…赤ちゃんポストも考えてません…
どなたか中絶手術をしてくれるお医者様を紹介してくませんか?メールアドレスは載せれます…
この質問に対して、色々なコメントが書き込まれている。その多くは、この相談者を非難するものだった。だが、そのコメント欄にさらに、この相談者の書き込みが入っている。徐々に、この相談者の状況が浮かび上がってくる。
違法だから無理だろうという意見に対して、相談者はこう書き込んでいる。
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違法なのは分かってます。常識外れなのも分かってます…
だけど産む選択肢は無いんです。どなたかお願いします
また、施設(乳児院)に預けることもできるというコメントに対しては、次のように応えている。
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施設に預ける事も考えてません!批判したいのは分かりますが…
とりあえず、病院知ってる人だけ来て下さい!
上のやりとりから、相談者は、いろいろな手を知りながらも、とにかく中絶したいという考えであることが分かる。
さらに、色々なやりとりがなされているが、それを受けて、相談者は次のような書き込みをする。
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皆さんが言ってる事は全て承知の上での事です。闇医者を探してます。
重度の障害児でした。8ヶ月の時に分かった事です。産まれても長くはないそうです。私の家族、旦那の家族皆で考えた上での中絶希望です。少し特殊な世界の家族達なので世間体の為と言われました。納得出来ず1ヶ月前に家を飛び出してからホテル住まいでした。最初はそれでも産もうと色々考えましたが、私の銀行口座は凍結されており、旦那は今一番大事な時で迷惑かけられない状態です。サラ金で借りるにも身分証もなく、妊婦風俗で働こうと面接に行きましたが、感染の恐れがあると聞き諦めました…捜索願いも出てるそうです。今戻れば親の知りあいの闇医者に連れてかれます。どっちみちやる事は一緒なんですが、戻ればまた監禁生活が始まります。そうなるくらいなら自分でどうにかして家族から逃げたいんです。中絶費用は新しい仕事先の方が出してくれるそうです。出産すればしばらく仕事は出来なくなります。その条件はのめないと言われました…他に道はないんです。
このコメントから、おそらく「釣り」だと判断されたのだろう。内容的にあまりにもつじつまが合わないところが多すぎる。だが、なぜ中絶したいのかの理由が、「重度障害だから」ということだということがここで明らかになった。
妊娠、中絶、その背後にある「障害」の問題がここで浮かび上がってきた。
その後のやりとりは、他のスレッド同様、空中分解し、破たんへと向かっていった。そのやりとりもそれなりに意味はあるように思った。本当かどうかはともかく、「私も…」という意見が多々あった。
きっと、外から見れば、この相談者は非難轟々になるだろう。だが、実際、出生前診断の結果、胎児が障害をもっている可能性があると分かり、そのために中絶する母親の数は、かなりの勢いで増えている。胎児の状況を理由に中絶することは、母体保護法によって認められていない。だが、理由はどうともつけられる。日本産婦人科医会によれば、胎児の異常が理由と見られる中絶数は、年々急増している。
95年から99年には、3000件だったのが、05年から09年には、その倍の6000件に増加している。なお、85年から89年では、800件ほどだった。
障害児差別は決して認めてはならない。だが、母親として、当事者として、自分の子どもが障害児になり得るということを知ってしまった時、「それでも全然大丈夫。問題なし。覚悟しておきます」、と堂々と言える人がどれだけいるだろうか。赤ちゃんの出産という人生上で最も幸福な経験が、不安と罪責感情と絶望の経験に変わってしまうのだ(←一般的な価値観として)。
上の例は、まさにそうした「母親の葛藤」を示しているように思う。
上の相談者は、とにかく出産をしたくないようだ。その背後には、機能主義的な考え方、「無駄な経験はしたくない」というプラグマティックな思想があるように思う。中絶を禁止したいと思う人たちは、「育てられなくても、出産はしたほうがよい。出産経験をもとに、生き方を変えてほしい」と願っている。出産したその直後に、社会的養護に切り替えることは可能である。そのために、乳児院や特別養子縁組があるのだから。
育てられないことを悔いる経験もまた一つの学習経験である。それが、中絶反対派の人たちの考えである。中絶よりも、もっともっと強烈な経験となる。「産む」という経験それ自体が、女性、またそれに伴う男性の経験となる。男性もまた、産まれてくる赤ちゃんを直視すべきである。自分がとった軽率(?)な行為から、こんな素晴らしい命が生まれてきているんだ、ということを、身をもって知れ、と。
それが正しいことかどうかは分からない。そんな経験など、しないほうがよいかもしれない。けれど、自分のとった行動の結果を直視することで、その人(男女)の生き方が変わるかもしれない。
この問題は、実に根深いものがある。