Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

中絶と障害

ものすごいスレッドがあった。

http://reconsider.mighteach.net/bbs_view/ctno/410/no/65243/aflag/all

この記事自体の信ぴょう性は問われるが、内容的に考えさせらるものがあった。この記事自体、「釣り」(でまかせ)ではないか、という意見もあったが、その真偽はさておき、その内容には深いものがあった。


まず、相談内容を見てみよう。

***

今妊娠9ヶ月です。事情により、産む事が出来なくなりました…赤ちゃんポストも考えてません…

どなたか中絶手術をしてくれるお医者様を紹介してくませんか?メールアドレスは載せれます…


この質問に対して、色々なコメントが書き込まれている。その多くは、この相談者を非難するものだった。だが、そのコメント欄にさらに、この相談者の書き込みが入っている。徐々に、この相談者の状況が浮かび上がってくる。

違法だから無理だろうという意見に対して、相談者はこう書き込んでいる。

***

違法なのは分かってます。常識外れなのも分かってます…

だけど産む選択肢は無いんです。どなたかお願いします


また、施設(乳児院)に預けることもできるというコメントに対しては、次のように応えている。

***

施設に預ける事も考えてません!批判したいのは分かりますが…

とりあえず、病院知ってる人だけ来て下さい!


上のやりとりから、相談者は、いろいろな手を知りながらも、とにかく中絶したいという考えであることが分かる。

さらに、色々なやりとりがなされているが、それを受けて、相談者は次のような書き込みをする。

***

皆さんが言ってる事は全て承知の上での事です。闇医者を探してます。

重度の障害児でした。8ヶ月の時に分かった事です。産まれても長くはないそうです。私の家族、旦那の家族皆で考えた上での中絶希望です。少し特殊な世界の家族達なので世間体の為と言われました。納得出来ず1ヶ月前に家を飛び出してからホテル住まいでした。最初はそれでも産もうと色々考えましたが、私の銀行口座は凍結されており、旦那は今一番大事な時で迷惑かけられない状態です。サラ金で借りるにも身分証もなく、妊婦風俗で働こうと面接に行きましたが、感染の恐れがあると聞き諦めました…捜索願いも出てるそうです。今戻れば親の知りあいの闇医者に連れてかれます。どっちみちやる事は一緒なんですが、戻ればまた監禁生活が始まります。そうなるくらいなら自分でどうにかして家族から逃げたいんです。中絶費用は新しい仕事先の方が出してくれるそうです。出産すればしばらく仕事は出来なくなります。その条件はのめないと言われました…他に道はないんです。


このコメントから、おそらく「釣り」だと判断されたのだろう。内容的にあまりにもつじつまが合わないところが多すぎる。だが、なぜ中絶したいのかの理由が、「重度障害だから」ということだということがここで明らかになった。

妊娠、中絶、その背後にある「障害」の問題がここで浮かび上がってきた。

その後のやりとりは、他のスレッド同様、空中分解し、破たんへと向かっていった。そのやりとりもそれなりに意味はあるように思った。本当かどうかはともかく、「私も…」という意見が多々あった。


きっと、外から見れば、この相談者は非難轟々になるだろう。だが、実際、出生前診断の結果、胎児が障害をもっている可能性があると分かり、そのために中絶する母親の数は、かなりの勢いで増えている。胎児の状況を理由に中絶することは、母体保護法によって認められていない。だが、理由はどうともつけられる。日本産婦人科医会によれば、胎児の異常が理由と見られる中絶数は、年々急増している。

95年から99年には、3000件だったのが、05年から09年には、その倍の6000件に増加している。なお、85年から89年では、800件ほどだった。

障害児差別は決して認めてはならない。だが、母親として、当事者として、自分の子どもが障害児になり得るということを知ってしまった時、「それでも全然大丈夫。問題なし。覚悟しておきます」、と堂々と言える人がどれだけいるだろうか。赤ちゃんの出産という人生上で最も幸福な経験が、不安と罪責感情と絶望の経験に変わってしまうのだ(←一般的な価値観として)。

上の例は、まさにそうした「母親の葛藤」を示しているように思う。

上の相談者は、とにかく出産をしたくないようだ。その背後には、機能主義的な考え方、「無駄な経験はしたくない」というプラグマティックな思想があるように思う。中絶を禁止したいと思う人たちは、「育てられなくても、出産はしたほうがよい。出産経験をもとに、生き方を変えてほしい」と願っている。出産したその直後に、社会的養護に切り替えることは可能である。そのために、乳児院や特別養子縁組があるのだから。

育てられないことを悔いる経験もまた一つの学習経験である。それが、中絶反対派の人たちの考えである。中絶よりも、もっともっと強烈な経験となる。「産む」という経験それ自体が、女性、またそれに伴う男性の経験となる。男性もまた、産まれてくる赤ちゃんを直視すべきである。自分がとった軽率(?)な行為から、こんな素晴らしい命が生まれてきているんだ、ということを、身をもって知れ、と。

それが正しいことかどうかは分からない。そんな経験など、しないほうがよいかもしれない。けれど、自分のとった行動の結果を直視することで、その人(男女)の生き方が変わるかもしれない。

この問題は、実に根深いものがある。

コメント一覧

kei
kumiさん

ふふふ。先日の研究会の問題を引きずってみた。世知辛い今の時代、ホント、人を救うのは宗教しかないのかもなー。。。悲しいけど。ホント、悩ましい時代だわ。

sakiさん

色々と考えてもらえたみたいで、、、書いた甲斐があったかな。ホント、色んな意味で生きるのが辛い時代。それでも、考えることを忘れないで、生きていきたいもんだなー、と。
saki
mixiにも書きましたが最近、この問題に似た事についてすごく考えていたところだったので、文章を読みながら色々な事を考えてしまいました。

自分に置き換えて考えたり…
相談者の気持ち、状況、状態…
世間の目や、世間一般の答えという誰がいつ決めたかもわからないのに、それが『常識』となっているこの世の中について…

怒り、悲しみ、共感…色々な感情が押し寄せてしまって、最初は最後まで読めませんでした。

何が書きたかったという訳ではないのですが、私が率直に感じた事を少し落ち着いてからコメントさせて頂きました。

やっぱり先生の文章を読むと、奥の奥の深い部分まで自分なりに追及し続けて考えられるので、その間考えてる間すごく楽しいというか充実感が得られるんです!!

なんか文章がぐちゃぐちゃだし最後は記事に関係ない事ですみません。。でも、すごくいい?文章を読ませて頂きました。ありがとうございます。
kumi
まさに先日の研究会で話された事ですね。

障害を抱え産まれる子、その子を生む母。
大きな決断を喜ばしく思う人はいったいどれほどいるのでしょうか…

そして、そんな緊急下の母子が共に安心して暮らせる場となるとなおさら。

「八日目の蝉」で主人公とその母が一時を過ごした宗教団(?)での暮らしを思い出しました。
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