僕は、学生のアルバイトに批判的です。
このブログでも学生アルバイトを批判してきました。
http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/1e5b2e26a1638a0939018ecff839ee1f
http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/ff671e7159fa5c6f1a4dcf09e42c803d
http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/b1d7ed84c849f78a3ec4ff7c2082348b
(これはつい最近のものです)
その考えは、今回の千葉の女子大生殺人事件でますます強くなりました。
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千葉県木更津市の林道で千葉商科大2年菊池果奈さん(19)の遺体が見つかった事件で、菊池さんはアルバイト先から帰宅後に連れ去られた可能性が高いことが14日、捜査関係者らへの取材で分かった。県警木更津署捜査本部は同日、無職本田祐樹容疑者(24)を死体遺棄容疑で送検した。
捜査関係者らによると、菊池さんは10日午後9時半ごろ、飲食店のアルバイトを終え同県市川市の自宅に帰宅。11日午前0時半ごろ、同僚が部屋を訪れると鍵が掛かっておらず、アルバイトの制服2着が部屋の中に置かれ、照明がついたままだった。室内に荒らされた様子はなく、食事を取った形跡があったという。
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亡くなられた学生のことを責める気はありません。自分も彼女と同じ年くらいの学生をたくさん見ている立場として、本当に心が痛むし、悲しい気持ちになります。
でも、ここまで残酷な事件でなくとも、これに類する怖い経験は、学生たちからよく聞かされます。20歳くらいの女性というのは、最も男性たちから「性の対象」として、狙われる危険性をもっていると僕は思っています。
この上の話や、学生たちから聞く話を総合すると、だいたい危険なのは、『バイトから自宅への帰宅途中』なんです。菊池さんも、まさにバイトからの帰宅後に事件に巻き込まれました。(*事件とアルバイトの関連性はまだ分かっていませんが、、、)
事件とアルバイトの関連はともかく、若い女性が9時半に夜道を歩くということは、やはり危険なことなのです。バイトをやっている学生たちの話を聞くと、9時半なんて当たり前。10時、11時、12時、酷い時には、深夜1時、2時、3時まで働いているといいます。それで、次の日は朝から講義、という生活も当たり前のようです。
深夜になれば、男性一人でもちょっと怖いです。そんな夜の世界に、バイト先から一人で歩いて帰る、なんていうのは、(世界基準でみれば)めちゃめちゃ危険です。殺される覚悟さえもたなければならないはずです。アパート・マンションの玄関付近や、自宅のドア付近なんかは、めちゃめちゃ危険です。待ち伏せしていて、女性が家に入ろうとしたすきに、さっと女性と一緒に家に入り込んでしまえば、そこは『密室』です。夜遅くに、一人暮らしの若い女性が家を出入りしていたら、危険なのは当然です。
島根の女子大生死体遺棄事件も、アルバイトの帰宅途中でした。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/shimane_student_abandoning/
(しかも、19歳でした。夜道でした)
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アルバイトは、何の保障もないし、時給制であり、それ以外(通勤時間)のことなど何の配慮もしてくれません。夜のお仕事なんかでは、お店の人が女性を家まで送っていってくれるサービスが結構あったりします。家の前まで車で女性を送るのです。ただのバイトではないし、夜は怖いと分かっているからこそのサービスなのかもしれません。
僕が一番納得できないのは、(うまく説明できるか分かりませんが)学生ならば、学業に専念しなきゃならないのに、アルバイトによって学業が浸食されている、ということです。そして、アルバイトをしなければ学費が払えないという事態(学費の高さ)と、大学・短大にいかないと職が得られない現実(就職事情の劣悪さ)が最も納得できません。
学生によく「どうしてバイトをするんだ?」と尋ねます。そうすると、だいたい決まって「お金が欲しいから」と答えます。理屈で考えれば、お金が欲しいなら、高い金を出してまで進学する必要はないはずです。働けばよいのです(昼間に!)。でも、現実的には、高卒ではなかなか「仕事」がありません。仕事が欲しくて進学するんです。「勉強」がしたいんじゃなくて、「仕事」がほしいんです。
では、なぜ高卒の子たちに仕事がないのか。そこに(僕の仮説だと)、アルバイトという憎き存在が隠れているのではないでしょうか。「学生アルバイト」は、学生がいる限り、永遠と存在し続けます。安い賃金で使えて、何の福利厚生もいらず、雇用側にとって最も使いやすいアルバイトの方が、正社員よりもコストがかからないから、雇用者はアルバイトを使いたい。そのアルバイトのせいで、(比較的単純作業的な)仕事がなくなっている、そう考えられないでしょうか。
他の国に行けば、学生がそこまでアルバイトをしているというのはほとんど聞きません。講義の予習や復習を真面目にやると、とてもじゃないけどアルバイトをやってる余裕なんてあるはずないんです。学問を修めるというのは、大変なことですし、時間もかかります。大学教員が話そうとしていることを理解するためには、学生側もそうとう勉強しなければならないのです。
でも、現実には、アルバイト三昧で、学業の予習も復習も絶望的なくらいにしていません(優秀な大学ではしている人もいるんでしょうけど、、、)。予習なし、復習なしで、僕はいったい何をどうやって教えろ、と。当然、質問なんかくるはずないし、疑問さえ生じるわけがないんです。例えば、僕が「エロス」と「アガペー」について語ったとします。復習をした学生は、「あれ、本で言っていることと先生が言っていることは違う!おかしい!何なんだ?!」と思うはずです。そして、先生に対決を挑む、というわけです。海外では、そういう光景が何度も見られました。
日本の学生は、とりあえず講義を聴き、ゼミでは黙り込んで、発表も適当に内容のないことをしゃべって、夕方からアルバイトに全力投球する、そんな感じです。主がバイトで、従が学業なんです。
でも、これは、そうした学生が悪いというわけではありません!! そうではなくて、今の学生たちは、仕事を得るために仕方なく大学・短大に通っている、というのがリアルなんです。学問なんか、ほとんどしたくないんです。ただ、仕事が欲しいから、あわよくば楽できる仕事が欲しいから、そういう理由でしかないんです。「高等教育が受けたい」という理由ではないんです。
それでいいのでしょうか?
僕は、まずもって、高卒の就職機会をもっと増やせ!と訴えたいのです。高卒の若者の就職率を上げれば、大学・短大進学者はぐっと減ります(僕的には少し困りますが、それでもいいです)。大学・短大には、「学びたい」と思う学生だけが集まります。そういう学生は、アルバイトなんかしません。「お金よりも、今は勉強が大事」、「働く暇があるなら、図書館で本を読みたい」、そういう学生たちであふれかえるはずです。高校生にとっても、高校が最後の学生生活となれば、もっと必死に高校生ライフを過ごすことでしょう。
そのためには、アルバイトを抑制するシステムが絶対的に必要です。アルバイトがなくなれば、企業・会社・お店・雇用者は、正規・非正規問わず、たくさんの人材(学生以外)を採用しなければなりません。もっといえば、非正規も抑制して、正規雇用のみならば、もっと就職事情はよくなるはずです。もちろん経営的には厳しくなると思いますが、安い賃金で何の保障もなく働かされる低所得者をなくすことの方が大切なことです。
それと同時に、学生たちの意識変革も必要です。お金が欲しいなら、(比較的安全な昼に)働くべし。勉強したいなら、貧乏当然の気持ちで、(安全な昼に)勉強すべし、と。夜は、自室で予習・復習に勤しむべし、と。アルバイトをすることは、学生としてカッコ悪い、みっともない、という感覚をみんながもてば、随分と大学・短大の雰囲気は変わると思います。今の学生たちにしてみれば、「アルバイトをしていない学生はカッコ悪い」ですからね。意識改革が必要です。
(もっといえば、学費と衣食住だけあれば、生きていけるんです。いらないものが多すぎるんです。今の学生たちは贅沢し過ぎです! 外食なんてしなくてもいい。学校に行って、友だちと話して、家で勉強すりゃいいんだから。自宅から通うなら、一カ月のお小遣いなんてちょっとでいいはず。友だちと話すのだって、キャンパス内なら無料だし、本なら図書館で無料で借りられる。先生だって研究室にいるんだから、いくらでも議論できる!)
学生にはお金はいらない。ケータイさえいらない(暴論)。お金が欲しいなら、学生辞めるべき。働いた後に、だいたいの人は、「勉強したい」という気持ちが出てくるんです、不思議なことに。勉強したいと思った時に、大学・短大を活用すればいい。大学・短大も、18歳の新卒、じゃないや、高卒の若者ばかりに対象を限定すべきじゃない。25歳過ぎくらいになって、進学してもいいじゃないか。社会人枠をもっともっと認知させて、広めていくべきじゃないのか。
これだけ多様化している時代なのに、あいもかわらず、18歳で進学、20歳~22歳で就職という強烈な「思い込み」「先入観」があるんです。これは、明らかに時代錯誤しています。20歳~22歳で就職したって、今の時代、数年で退社してしまいます。就職を急いだところで、すぐに辞めてしまうのが今の時代です。なら、18歳で就職したって同じことじゃないですか?
なんで僕がこんなことにこだわるのかといえば、僕自身、15歳でアルバイトや労働世界にどっぷりと浸かっていたからです。普通高校に行けず、働かざるを得なかったからです。だからこそ、大学時代は、貧乏OKで、大学での勉強だけに集中しました(あ、恋愛もしましたけど☆)。お金よりも、学びの方が大事だったんです。切実でした。短期的なお金よりも、長期的な展望が欲しかったんです。
[追記]
それから、卒業生たちに話を聞くと、みんな口をそろえて、「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」、「社会に出てから、学問の大切さを痛感した」と言います。しゃれにならないほど高額の学費をおさめていながら、その価値は、卒業後にしか感じられない。これって、おかしくないですか?!? 300万~400万円の学費を払うんですよ。だったら、大学・短大教育の価値を自分で実感してから、入学したら、もっともっといいと思いませんか!?!
高校卒業→第一就職(アルバイト的な労働)→進学→第二就職(人生としての労働)→第三…
こういうスタイルにならないんでしょうか? 海外だと、徴兵制があったり、ボランティアだったりして、数年過ごしてから大学進学するケースも少なくないんです。高校で一度リセットして、個々人それぞれの人生を一度過ごして、いったん自立してから、大学・短大に進学することはできないんでしょうか!?!
ま、理想的なのは、大学進学後に、勉学のみに専念して、外界(産業社会)との交流を断つことなんですけどね。
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上の菊池さんも、もしアルバイトなんてものをせずに、学業に専念していたら、人生全く違っていただろうな、と、心痛むのです。彼女も大学生でした。しかも、すごい優秀な学生だったそうです。千葉商科大学の島田晴雄学長も、「すごく優秀な学生なんですね。もうちょっとで、成績特待生になるところで」と語ったそうです。こういう真面目でしっかりとした学生であったからこそ、日本の学生アルバイト文化をどうしてもぶち壊したいんです。真面目な学生が真面目に学業に集中できるようになんとかできないのでしょうか?
しかも、彼女は、僕の愛する岩手県の北上市出身といいます。親御さんはとても無念でしょう。故郷からはるか遠く千葉の地で、無残な仕方で命を奪われた、というのはとても悲しいことです。
でも、だからこそ、若い女子学生に夜のアルバイトをさせる、という構図は唾棄したいのです(男はしらん、、爆)。理想的には、人の動きのある7時には、自宅にいてほしいものです。(9時半でさえ、このような事件が起こるのですから) 勉学に励むべき学生がアルバイトの帰宅途中に命を落とす、というのは、理屈的にも変だし、奇妙なのです。
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容疑者は無職でした。彼もまた、仕事をもたない(もてない)人間でした。前科もあったそうです。彼にもし仕事があったら、、、と思うと、また、ますますアルバイト市場に嫌悪・憎悪を感じるのです。
この事件とアルバイトは、もしかしたら、全く関係ないかもしれません。けれど、人間には、元来、職と愛情が絶対的に必要なのです。人間は、いつの時代も働かなければならないし、愛されなければならないのです。人間の最大の不幸は、貧困と孤独です。経済基盤とパートナーは、絶対的に必要なものなのです。仕事をもち、愛情に欠けていなければ、人間、愚かなことはしないんです。そこはずっと叫び続けたいのです。