1991年(平成3年)初頭の某・パチンコ攻略誌を読書中…
懐かしい「新宿」のパチ屋に関するレポート記事に、思わず目が止まった。
土地勘のない方にはサッパリだろうが、平成初期の学生時代、歌舞伎町を「庭」としてパチ屋巡りしていた自分にとっては、ズップシと刺さりまくる内容なのだ。
まぁ、今さら需要はないだろうが、この囲み記事の「解説」をザッと行ってみたい。
いにしえの新宿界隈に興味のない方は、今すぐブラウザを閉じた方が無難であろう(笑)
以下、記事の文面をピックアップして、個別に解説を加える。
(A)「結構古くからあった新宿の2店舗が、何と閉店。二店ともゲームセンターになってしまった。」
これは、歌舞伎町一番街(赤いゲートの通り)を入って左側にあった「パチンコメトロ」と、新宿・東南口の成人映画館「新宿国際劇場」向かい「パチンコ楽苑」の二軒を指していると思われる。
共に、1990年のバブル崩壊と共に閉店した老舗ホールで、閉店後は記事の通り「ゲームセンター」に鞍替えしている。
(C)Google
歌舞伎町一番街「パチンコメトロ」跡地。閉店後は、ゲームセンター「イエストロン」(2Fに「焼肉・安楽亭」)やスープカレー屋「フー」などが営業。現在は「ハイボール酒家しゃぶから」になっている。
(営業当時の「メトロ」)
(C)Google
新宿・東南口「パチンコ楽苑」跡地。「セントラルホテル東京」1階にあった大型店。かつて、ガイド誌の末井編集長も足を運んだホール(平成元年に、ハネモノ「ローリングマシン」「エキサイトライダー」「スペースキャノンI」など実戦)。楽苑の閉店後にオープンしたゲームセンターは、現在も営業中(現・「エスタディオ・パセオ」)。
(B)「歌舞伎町のソープランド街の近くにオープンした金時」
かつて、新宿に「金時」という名のパチ屋があった事をご存知の方は、かなりの歌舞伎町ツウであろう。ソープなどの風俗店が居並ぶ裏路地(仲見世通り)に1990年末に新規オープンした異色のパチ屋で、一時はかなりの盛況であった。
(C)Google
歌舞伎町「金時」跡地(右側、白い建物)。金時は地上と地下からなるホールで、90年のオープン当初は午後5時からの変則営業ながらも、出玉、店員のサービス共にAランクの「優良店」だった。しかし、なぜか新規オープンから僅か1年数ヶ月で「閉店」の憂き目に…。
その後、数年の時を経て、跡地にはパチスロ専門店「BIS-II」がオープン。こちらは長らくの営業を続けた後、2007年に閉店。2Fのカプセルホテル(カプセルイン新宿)は健在。
(営業当時の新宿「金時」入口前、1991年)
(「金時」のカウンター嬢たち、1991年)
なお、記事中、金時の設置台数について「パチンコ235台、パチスロ191台、総台数426台」とあるが、1991年・春のラインナップは以下の通りである。
パチスロ…アラジン(ニイガタ2-2)、クレイジーバブルス(アークテクニコ2-2)、ムサシ(パイオニア2-2)、ワイルドキャッツ(アークテクニコ3-1)
デジパチ…センチュリーB(平和)、マーブルX(奥村)、ジューシーフルーツS(豊丸)、スマイル(三洋)、オリンパス2(マルホン)、カクテルA(大一)、ルーキーデルタP2(西陣)
ハネモノ…ニューモンローP2(西陣)、サンダードラゴンGP(三共)、サーカスIII(三洋)、ニューコスモウォーカーP3(西陣)
(C)「吉原のソープランド街の中にも新規開店が一軒。」…コチラは新宿ではないが、以前に当ブログで紹介した吉原の「チャンプ」というパチ屋と思われる。
(営業当時の吉原「チャンプ」、1994年)
残念ながら、91年当時のチャンプは良く知らないが、94年には平和の「雀姫物語」というデジパチを設置。この機種は、当初ノーマル機との触れ込みだったが、大当り中に故意にエラーを起こす事で、連チャン率が27.1%にアップする事が発覚。この「エラー攻略」を、店公認で行う事が出来る優良ホールであった。
同年には、この店でガイド誌主催による「第24回パチンコ大会(読者甘釘イベント)」=同時開催「パチスロ設定6大会」(プレイガールV、ザンガスI)も開催された(1994年5月15日開催)。
という訳で、こんな局地ネタのレトロ記事を、我慢強く最後まで読み通された「モノ好き」な方々に感謝…。