まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ここは新宿歌舞伎町・負男クンを探せ(1991年)

2012-12-16 01:20:31 | 懐かしのパチンコ本・攻略誌・漫画

今日12月16日は、ある「記念」すべき日だ。

総選挙の当日だとか、政権が代わるとか、そんな政治ネタは当ブログで取り上げる問題ではない。

あくまでも、「レトロパチンコ的」な観点から紹介すべき日である。

私が、なぜこの事を思い出したかというと、マクドナルドのCMである。

一体何の事かと思われるだろうが…とりあえずコチラをご覧頂きたい。

現在、TVでマックのCMを見ていると、このロゴが最初に出てくる。

同社の創業40周年を記念したスローガン「MAKE WOW」との事である。

「WOW」とは、顧客が美味しいモノを食べて嬉しく感じる「ワォ」の意味らしいが…

私は、このロゴが目に入るたびに、どうしても「MAKEOww」に見えてしまうのだ(笑)。

 

という事で、MAKEO=必勝G誌が誇る名物古参ライター、パチプロ負男氏である。

負男氏については、以前に「ぱちんこ遊園」というパチ屋の回顧記事で、あるエピソードを紹介した事がある。これが、偶然にも負男氏の目に止まったようで、まさかの「本人コメント」まで頂いてしまった。あらためて、貴重なコメントをお寄せ頂いた事に感謝したい。

 

さて、肝心の「今日は何の日」だが、実は21年前の今日(1991年12月16日)、新宿・歌舞伎町において、必勝G誌の読者参加企画「ここは新宿歌舞伎町・負男クンを探せ」が、密やかに敢行されたのであった。

「チャンチャン」というBGMが、どこからか聞こえてきそうだが…(汗)

 

事の発端であるが、必勝G誌’92-1号の「月刊マケタイ」というページ内告知であった。

当時、独特の負けキャラで人気の負男氏に「ししゃも」というファンクラブができた時期で、その記念イベントとして立案されたのが「負男クンを探せ」である。

イベント当日は、負男氏が歌舞伎町のパチンコ店に白昼堂々と現れ、何かしらの機種を打つ(負ける)。ただし、どの店にいるかは明かされておらず、負男氏もあちこちホール移動をする。

そして、午前11時から午後5時までの制限時間内に、歌舞伎町を訪れた読者が負男氏と見事に遭遇できれば、「パチンコ御守り」やテレカ、Tシャツなどがプレゼントされるという企画であった。まさに、当時流行りの「ウォーリーを探せ」を彷彿とさせる内容である。

なお、プレゼントを貰うには、首尾よく負男氏を見つけた際、鼻の穴にパチンコ玉を詰めて、「負男さんですか?」と尋ねる事が条件になっていた(笑)。

歌舞伎町が実戦場所に選ばれた理由はよく知らないが、おそらく負男氏自身、当時仕事やプライベートで、歌舞伎町のホールに足を運ぶ機会が多かったのではないか。なお、92年の必勝G誌(スロ)では、負男氏が歌舞伎町界隈の各ホールを回り、落ちているコインを拾って勝負する「新宿拾い打ち」なる企画も行われている。

(1991年当時の歌舞伎町パチンコ店マップはコチラ

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/942c8fd33de397f3246c7df0fcf22006

 

さて、負男氏探しの企画当日、氏は予告通り歌舞伎町のパチンコ店をハシゴして、自分を見つけてくれる読者の出現を今や遅しと待っていた。その間、各店での投資合計は「約7万円」にのぼったという。当時(今も変わらないが…)の歌舞伎町は、イチゲン客を狙ったボッタクリ営業の店も多く、この厳しい結果も致し方ない事であろう。まさに、負男氏の本領発揮である(笑)。

さらに悪い事に、この珍妙な企画に参加すべく現れた読者は、何と「ゼロ」であった。「マケタイ」での結果報告(G誌’92-3号)にも、「逃げ切る、実は…読者参加なし!」との寂しい見出しが出ている。ひょっとすると、地方から上京した参加者が、途中でポン引きに捕まりボッタクリ風俗店に連行されていた可能性もあるが…(笑)。

かくいう私も、当時は企画の存在すら知らなかった。後日、G誌のバックナンバーを手に入れた際、はじめてこの香ばしい企画を知ることとなった次第だ。

もし、リアルタイムで記事を読んでいれば、歌舞伎町のパチ屋をホームにしていた私は、間違いなく全ホールに出向いて、負男氏の姿を探したことだろう。

ただし、元来が人見知りな性格の為、遠巻きに負男氏の姿を見守った後、何も言わずにその場から離れた可能性も大いにある。かつて、「ぱちんこ遊園」のガリバースペシャル実戦に出くわした際も、結局は声すら掛けられずに立ち去ったのだから…。

それに、鼻の穴にパチンコ玉を詰めて、人前に出られる度胸があったどうかも怪しい(参加者ゼロの原因は、コレだったかもしれない…?)。

 

まぁ、それはともかく、「参加者なし」という不測の事態に、当の負男氏自身も、結果報告記事の中で「読者諸君、私はカナシイぞ。私に会えるなんて、のちのち子孫に語り継がれるべき大変な名誉ではないか。たとえ前日に親が死んでも、私に会いにやってくるべきではないのかっ!」と、落胆のコメントを寄せている(笑)。

 

なお、記事によれば、負男氏は最初にコマ劇場前のホール「ラスベガス」(現・ゲームセンター「プレイランドカーニバル」)を訪れ、三共の権利モノ「スパイラル1」でハマった後、京楽のデジパチ「トランプエース」のダメ押しで撃沈したという。「撃沈」という位だから、かなり長い時間ラスベガスに滞留していた事は間違いない。

(在りし日の歌舞伎町「ラスベガス」、1991年)

(現在は、ゲーセン「プレイランドカーニバル」)

(京楽「トランプエース」、1991年…ひたすらスーパーリーチを待つ台。大当り判別も可。)

 

 

実は、この「ラスベガス」というパチ屋は、個人的に当時通い詰めた馴染みの店であり、91年のラインナップもよく覚えている。

(新宿・歌舞伎町「ラスベガス」、1991年の設置機種一覧…途中入替となったものも含む)

ハネモノ…安来名人(平和)、ビッグシューター(平和)、プラトーンII(平和)、マッハシュート(西陣)

権利モノ…スパイラル1(三共)

デジパチ…トランプエース(京楽)、ダービー(京楽)、エキサイト123(ニューギン)、エキサイトマジック(ニューギン)、エキサイトポーカー(ニューギン)、マーブルX(奥村)、フィーバーフラッシュI(三共)、フィーバーボルテックスII(三共)、アラシキング(西陣)、ブラボーセンチュリー(平和)、ブラボーエクセディア(平和)、ブラボーストロングα(平和)

パチスロ…ファイアーバードEX(瑞穂)センチュリー21(瑞穂)、コンチネンタルI(瑞穂)、コンチネンタルIII(メーシー)

(赤字は、負男氏がヤラれた台。青文字は、特に私が「ラスベガス」で打ち込んだ台。) 

 

うーん、機種名を挙げながら、当時通っていた頃の記憶が、走馬灯のように蘇る…(別に、死ぬ訳ではないがw)。

コマ劇広場側のドアから入ると、右側がパチンコのシマ、左がパチスロのシマに分かれていた。設置台数を稼ぐため、変則的な形のシマもあった。そして、全体的に古めの機種が設置されていた。

さらに奥に進むと、ラジオ局のようなガラス張りの「DJブース」が左手にあった(外観が潜水艦ぽい造りだった記憶アリ)。裏手の歌舞伎花道通り側にも、小さな出入口があった。

私が通った時期の「ラスベガス」は、ちょうど旧要件機と新要件機が混ざり合った設置状況で、多彩な機種を楽しむことが出来た。古い「安来名人」が打てるのも魅力だったし、ビッグ後90秒ウェイトの迷機「ファイアーバードEX」(2-1号機)に遭える店としても重宝した。

まぁ、釘や設定は正直厳しかった記憶があるが、「負けても満足」というのが、当時の偽らざる感想であった(決して負け惜しみではない…)。

新宿「ラスベガス」には、毎日午後5時の定刻になると、専属の女性DJがブースに入り、FM番組よろしくトークやリクエスト曲で場内を盛り上げるという、一風変わったサービスも行われていた。各台の脇には、客が直接リクエストできる応募用紙なんかも置いてあったな…。

また、換金所の位置も大いに怪しく、店の裏口を出て、花道通りを風林会館方面に歩き、如何わしい裏路地を右折して、通りの右側にある「裏ビデオ屋」の上が換金所であった。

「ビデオ」とデカデカと書かれた建物に入るのは結構恥ずかしく、いつも速足でサッと入って階段を上がったものだ。また、換金所にたどり着く前に、イカついポン引きのオヤジに「兄さん、いい娘いるよ」としつこく声をかけられることも、日常茶飯事であった。

 

って、いったい誰が読むんだ、こんな記事…(滝汗)