まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

フェアリー(京楽、一発台)

2013-04-15 23:56:23 | 一発台

1990年(平成2年)に京楽から登場した一発台「フェアリー」

 

★賞球オール13

★大当りサウンド…チャイコフスキー「くるみ割り人形」(小序曲)
⇒当時、「パチンコ必勝ガイド」(1990年9月号)において、作曲家・杉田一夫氏の担当する「パチンコのメロディ」(文字通り、パチンコ台に使用されているメロディを、楽譜付きで解説するコーナー)で、本機が取り上げられた事がある。おそらく、攻略誌で最初に本機の曲名について言及したのが、このコーナーではなかったか。


 

新宿・歌舞伎町、旧コマ劇近くの今は無き「モナミ」1Fでお世話になった一台。バイト料が入って懐に余裕ができると、本機やジャスティ、ターゲットI、ベータ、メガトロン、ビッグポーターなどの一発台が無性に打ちたくなり、それぞれの設置店に足を運んだものだ。逆に、持ち金の残りが数百円となった時にも、マグレ・ダメモト一発狙いで座ってみたり…打つたびに、実に様々な「ドラマ」を生んでくれた。

そういえば、学校帰りに通る高田馬場「日拓」の地下フロアでも本機を見かけたが、コチラはパッキーカードでしか玉が買えず、しかも一番安い1000円券がいつも「売切」になっていたので、あまり打つ気がしなかった。

(ゲーム性)

天横の命釘(「モナミ」では、右サイドの命釘が潰されていた)を抜けた玉は、「CHANCE」と書かれた天下部分からヤクモノに入賞する。玉はヤクモノ奥のスロープを下りて行き、下段の「?」と書かれた中央部分に到達する。

ヤクモノ下段では、奥と手前とを結ぶプラスチックの「橋」が中央に架かっている。しかし、橋の手前には「関門」があって、ガードの付いた黄色いレールが、常に左右を往復している。

このレールが中央に来た時に、「?」部分から出てきた玉がレールにタイミング良く乗ると、そのまま橋を伝ってステージ手前へと運ばれる。手前には、左・中・右三つの仕切り穴があって、中央のVゾーン(女の子が描かれている部分)に入賞すると大当りとなる(左右はハズレ穴)。橋から真っ直ぐ来た玉が、ストンとV入賞する瞬間が気持ち良かった。

V入賞すると、ヤクモノ真下のセンターチューリップが開放(ハズレ穴に入った場合は、左or右の袖チューリップが開く)。大当り中は、もちろん店にもよるが、右打ち(ゴム打ち)に切り替えて消化する。センターチューリップの右先端が、右下のオトシチューリップに向かう新たなルートを作るので、右打ちした玉はオトシチューリップに次々と入って出玉が増える。

 

一発当れば4000発=1万円確定(モナミの場合)のギャンブル台だけに、やはり大当りへの道は険しかった。何といっても、命釘を抜けるのが一苦労だった(2000円で一発通れば十分だったか…)。ヤクモノに飛びこんでも、攻略誌では振分けが1/3.5~1/4などといわれたが、実際には左右に動くレールのタイミングがズレてイライラ。うまくレールに乗っても、乗るタイミングが少し遅かったり早かったりすると、橋の途中で玉が左右に落下してしまう事もあった。挙句の果てに、ドンピシャのタイミングでレールに乗ったと思いきや、勢いが良すぎて手前のガラスに跳ね返り、まさかの左右ハズレ穴行き…なんて仕打ちも喰らったりした。

 

なお、フェアリーには一応「技術介入要素」があった。規則的に左右往復するレールの動きに合わせて、「止打ち」で投資を抑えてV入賞させる事が出来たのだ。

具体的には、黄色いレールが左から右に動いている時の位置を、(1)左端(2)中央左寄り(3)中央(4)中央右寄り(5)右端、と5つに分ける。そして、レールが(2)又は(3)の位置に来た時に玉を一発だけ打ち出す、というものだった。

このタイミングで玉を打ち出すと、ヤクモノに入った時に、タイミング良くレールに拾われやすい事が判明したのだ。レールが移動する時間は、片道3.5秒の往復7秒である。この間に玉を1発だけ打つという事は、通常打ち(7秒間で約12発)よりも投資が約1/12に抑えられる訳だ。なお、レールが一往復する間に、中央には行き帰りで2回来るので、この2度のタイミングに合わせて止打ちする方法もあった(この場合、投資は1/6となる)。

しかし、この止打ち打法はタイミングの取り方が微妙で、釘の状態やネカセによって玉の跳ね返りやヤクモノ内の動きがバラつく為、かなり高度な技とされた。また、単発打ちは根気がいる上に店員のチェックも厳しく、当然シマには「単発打ち禁止」の貼り紙も出た。かくいう自分も、何度か挑戦したものの面倒臭くなって、普通に打つようになった。この時期、「単発打ち」といえば何といっても「フィーバーレクサスIVD」の頃で、コチラは店員の目を盗んでセコセコ実戦した。

 

なお、一部ホールでは、フェアリーを一発台廃止後も長期間設置し続けた。特に、神奈川エリアでは、3軒のみなし機設置ホール(京急黄金町「M球殿」(太田橋近く)、上鶴間「D学院」、厚木「B厚木」)が、旧台マニアの間で知られていた。かつて、これらの店にフェアリーの「参拝」に訪れた方もおられるだろう。