※※前記事にて、励ましのコメントをお寄せ下さった方々、有難うございました。お蔭様で、モチベーションも戻ってきました。あまりナーバスになることなく、冷静に「然るべき」処置を取る予定です。今後とも、当ブログを宜しくお願いします。
さて、今回取り上げるのは、1992年(平成4年)に大一から登場した2回権利物「ウィンディ」。
この年の大一といえば、何といっても小当りの「3」から大当り「7」に繋がる爆裂機「ダイナマイト」(92年5月、1回権利)が、全国的な大ヒットとなった。
一方、同年10月頃に登場した本機は、ダイナマイト同様、「デジタル」と「振り分け式役物」を使っていたが、コチラは意図的な連チャンのない、ノーマルの「2回権利モノ」だった。
(この年、大一からは「リスキー2」「キャロル3」などの「一発タイプ権利物」も出ている。)
デジタルとアナログを融合した、独特のゲーム性を持つ本機。「ダイナマイト級」のヒットとはならなかったものの、「オトシ、ドット、ハネ、回転盤」の絶妙なコラボレーションは、打つ者を「虜」にする多くの魅力を秘めていた。1994年には、「新セル」も登場している。
(基本スペック)
★新要件機(16R)
★賞球…7&15
★スルーチャッカー通過⇒ドットデジタル当選⇒役物入賞⇒回転盤V穴入賞の4ステップ。
★デジタル確率…通常時=1/11、2回目権利時=10/11
★出玉…2回権利で約4400個
★意図的な連チャン性…なし
★当時の主な実戦店…新宿・歌舞伎町「(日拓)ジャックポット」(旧・日拓II)など
(ゲーム性)
左右のオトシ、役物のハネ、水平回転盤など「ハネモノ」の雰囲気も漂うが、本機は正真正銘の「権利物」である。
左右オトシ(風車下、ハカマ上部)には、「START」と書かれたスルーチャッカーがある。
但し、盤面右のスルー入口には「三角釘」が打ってあり、ここへの入賞は難しい。
よって、通常時は、スルーを通過し易い盤面左サイドを狙う。
スルーを通過した玉は、ハカマを伝って下の入賞口(7個戻し)に向かう。但し、入賞口をガッツリ締める店が多く、オトシでの出玉はあまり期待できなかった(但し、役物入賞時は15個戻し)。
スルーを通過すると、、役物上部の1ケタドットデジタルが変動、デジタルの回転が高速⇒低速に切り替わった後、3~7コマほど進んで停止する。スーパー発展や再始動などは、一切ない。
・左オトシのスルー通過で、1ケタドットデジタル(右側)が変動を開始。
・左の三角マークは、単にナビ的な役割(デジタルに奇数が出ると、役物入賞を促して「下向きの矢印」が出たりする)。
・役物下にある「1・3・5・7・9」の小さなランプは、権利獲得時に停止したドットの数字を表示。ラッキーナンバー制の店などで重宝された。
デジタルの図柄は「0~9」の数字(10種類)で、「1、3、5、7、9」(奇数)で止まると当選となり、センター役物のハネが約0.75秒開放する。
見た目は「1/2」だが、内部確率は「1/11」。当時の権利物で多く見られた、「罠」の1つだ。まぁ、それでも「1/11」なので、そこそこ当るようになっている。
ハネは先端が「鍵状」に曲がっており、玉の拾いは悪くなかった。だが、ハネの可動角がやや小さい為、寄りが悪いとハネが空振りするケースも。
一方、センター役物は上下2段構造になっている(「オリオン」などにも引き継がれた)。上段が振り分けなしの「一穴クルーン」、下段が「スタジアム」「マッハシュート」「ファンシー」などの回転体ハネモノを彷彿とさせる、振り分け穴のある「水平回転盤」である。
玉は上段のクルーンを暫く回った後、常時回転を続ける下段回転盤に落下・アプローチする。
回転盤の外周には穴が6個あり、そのうち1個だけに赤い縁どりがある。これがV穴(権利穴)となっていた。
ただ、V穴の振り分け率は単純に「1/6」とはいかず、概して「1/12~1/20」と辛かった(台のクセやネカセによって幅がある)。
なぜなら、赤いV穴だけが、ハズレ穴よりも一回りほど小さく作られていたから。これも、よくありがちな「罠」である。
その為、絶妙のタイミングでクルーンから回転盤に落ちた玉が、いとも簡単にV穴に蹴られて、そのままハズレ穴に逃げてしまう、悔しいパターンをよく喰らった。
ただ、ハネの拾いは比較的良く、1回のハネ開放で複数の玉を拾う事もあった。回転盤にアプローチする玉が2個あれば、当然にV穴入賞率も上がる。しかし、この時は、2個の玉が立て続けにV穴に入り、せっかくの権利が瞬時に「パンク」する危険もあった。
特に、2回目権利中はハネが頻繁に開くので、ちょっと気を抜いた隙に、「連続V穴入賞」によるパンクを喰らう事があった。パンク補償なしの店でこれを喰らうと、出玉半減で大ショックとなる。
なお、回転体特有の「止め打ち攻略」については、上段クルーンが玉の落下タイミングをバラつかせ、さらに回転盤の周回スピードも早かった為、V穴狙いはほぼ無理とされた。
回転盤のV穴入賞で権利発生となり、即・右打ちに切り替える。
その後は、盤面右上の回転体と、センター役物下のメインアタッカー(やや小さめ)の連動で、出玉を稼ぐ。16R継続で、出玉は約2300個程度。
1回目権利終了後は通常ストロークに戻し、「左オトシチャッカー通過⇒デジタル回転・奇数当選⇒ハネ開放⇒回転体V穴入賞」の流れで、2度目の権利獲得を目指す。
2回目権利時は、デジタル確率が10/11と10倍アップしており、デジタルが頻繁に揃ってハネが開くようになる。V穴入賞率は相変わらず悪いが、「ヘタな鉄砲、数うちゃ当る」という感じで、早めの権利獲得が可能。また、権利発生に手間取った場合でも、役物内の賞球が「15個戻し」と多いので、2回目権利中の玉持ちは良かった。
二回目の権利が発生したら、再び右打ちに切り替えて16Rを消化。計2回の権利で、トータルの出玉は約4400個。なお、繰り返すが、ドットデジタルに意図的な連チャン性はない。
(実戦ホールにまつわる想い出)
私が本機を打った西武新宿駅近くの「(日拓)ジャックポット」(旧・日拓II)は、当時、中二階(パチンコ)と地下(スロット)の2フロアからなり、パチンコのみ「等価交換」だった(スロは7枚交換)。
等価の本機の釘は、決して甘くなかったが、一発当てれば「約4400発=18000円」になる為、歌舞伎町のパチ屋のハシゴでやられた時、最後の望みをかけて勝負する事もあった。
★参考:1992年(平成4年)12月頃の、歌舞伎町(西武新宿駅前)「日拓村」マップ
※パチ屋・スロ屋のみ赤枠で囲んである。
※ジャックポットで勝負した後は、向いのラーメン「坂内」かその先の「松屋」(牛めし)が定番。
※日拓BP(エビ通り)⇒スロ専「日拓ビッグポット」(91年に新規開店)
※「換金」⇒当時、日拓の換金所があった場所。雑居ビルの地下2Fにひっそり設置。
※ご覧の通り、日拓系が計7軒(日拓I、ジャックポット(旧・日拓II)、日拓III、日拓IV、ビッグプレイ1、ビッグプレイ3、ビッグポット)と圧倒的に強い。
※この年の日拓といえば、パチスロ「アポロン」の人気が高く、新宿でも「ジャックポット」「日拓III」「日拓IV」「ビッグプレイ1」「ビッグポット」の5軒がアポロンを設置。特徴は皆さんよくご存知なので、敢えて書かない(笑)。
※日拓勢に対して、小店の「ムサシ」(スロ専、後の「マイリバー」)が、健気に対抗した。
※一番街通りのXの位置に「ニュープリンス」というスロ専があったが、この時期は既に閉店。
※コマ劇前「オデヲン」(併設店)は、多彩な設置機種や立地の良さで、当時は盛況だった。
※現在では、「エスパス日拓」の大型店舗が西武新宿駅前の路地沿いを席巻。92年当時の古臭くも香ばしい場末の雰囲気は、ほとんど残っていない。
※(90年代・歌舞伎町パチンコ店の変遷はコチラ)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/02e7d120715b2d1c45944c46c600bb6e
92年当時の歌舞伎町には、パチ屋・スロ専併せて約15軒のホールがあったが、パチンコの等価は、「ジャックポット」と、同じ路地沿いににあった「日拓III」の2軒のみ。その他の店は「2.5円~3円」だった。
また、スロでは、やはり日拓系の「日拓III」「ビッグプレイ」と「ビッグプレイ3」の3軒のみが等価で、残りは「6枚~7枚」交換となっていた。
この界隈は、いわゆる「新宿・日拓村」として古くから有名だが、92年辺りからパチンコの交換率を元の「2.5円」から「3円以上」にアップする店が増えた。
ただし、「ジャックポット」に関しては、旧要件時代(日拓Ⅱ)の頃から、「パチンコ等価」を大きなウリにしていた(通りに面した窓に、「等・価・交・換」と書かれた大きな紙が貼ってあった)。
時に「ボ〇タ〇」と揶揄されたチェーンだが、交換率などを考えても、当時それ程キツイとは思わなかった(まぁ、歌舞伎町自体が、相当辛めのエリアだったが…)。
折角の機会なので、1990年~1993年における、西武新宿駅前「(日拓)ジャックポット」の設置機種の変遷をまとめてみた。あらためて見ると、90年代前半のパチ・スロ史そのものを振り返るようで、どこか感慨深いものがある。
★1990年(平成2年)・秋…旧要件後期(P等価/S7枚)
~中二階~
・デジパチ…ドリームX(奥村)、ファンキーセブン(西陣)、エキサイト麻雀3(ニューギン)、フィーバーレクサスIVD(三共)
・一発台…キューピット(奥村)、アトムII(三星)、スーパーイーグルI(=アレパチ、藤商事)
(中二階へ向かう小さな正面階段を上がると、目の前にドリームXのシマがあった。ヘソは等価の割に大き目でオマケの釘もよく、2800個は出てくれた。当時お気に入りのシマ(1回交換)。)
~地下~
・センチュリー21(瑞穂2-2)(のみズラッと8シマ並んでいた)
★1991年(平成3年)・夏…新要件初期(P等価/S7枚)
~中二階~
・デジパチ…フィーバーフラッシュSP(三共)、パラダイスI(奥村)、グランドエキサイトG(ニューギン、旧要件)
・ハネモノ…火の玉ボーイ(西陣)
・権利物…バレリーナ(平和)
・一般電役…アメリカンドリームP1(豊丸)、フルーツパンチ(大一)
~地下~
・パチスロ…センチュリー21(瑞穂2-2)、スーパーバニーガール(オリンピア2-2)、スーパープラネット(山佐3-1)
★1992年(平成4年)・冬…新要件・連チャンデジパチ全盛期(P等価/S7枚)
⇒「日拓II」から「ジャックポット」に屋号変更したのが、確かこの頃。
~中二階~
・デジパチ…麻雀物語(平和)、ブルーハワイ(三洋)、アクションズーム(マルホン)、ルーキーVXP-2(西陣)
・ハネモノ…ブンブン丸(平和)
・権利物…トリプルエース(ニューギン)、ウィンディ(大一)
・一般電役…アメリカンドリームP1(豊丸)、フルーツパンチ(大一)
~地下~
・パチスロ…アポロン(北電子3-2)、アラジンII(サミー3-1)、スーパープラネット(山佐3-1)
(「アポロン」は例の有名なヤツ。数か月前までは、「国際色」豊かなハイエナ(管理人も「日本代表」として参戦)が、シマの両端で目を光らせていた。だが、この時期になると、なぜか「4連以下」で終わるケースが増えて、ハイエナ人口もガクンと減った。また、直前までコンチネンタルII(ユニバ3-2)を置いていたが、この年の暮れに「アラジンII」を新規導入した。新台でもない「アラII」が、この時期入った理由は…(以下、自粛)。)
★1993年(平成6年)・暮れ…「ダービー物語事件」(1993.10~11)の後
~中二階~
・デジパチ…フィーバークイーンII(三共)、フィーバーガールズI(三共)、綱取物語(平和)、ダービー物語(平和)、麻王(西陣)、デジパチ甲子園(豊丸)
・権利物…カーニバル(ニューギン)、オリオン(大一)
~地下~
・ミスターマジック(サミー3-2)、ニューパルサー(山佐4-1)、オリエンタルII(ユニバ4-2)
最後にまたまた余談だが、92年当時、この店の入口にあった「看板」が、ちょっと面白かった。
「日拓II」から「ジャックポット」に変わった頃、地下フロアにパチスロがある事を示す、大きな電飾の看板が店頭に掲げられた。その英字表記が、なぜか「SLOT」ではなく、「SROT」となっていたのだ。
しかし、これを指摘する関係者はいなかったようで、そのまま暫くの間、「SROT」とこれ見よがしに、通行人へアピールしていた(笑)。
ただ、雑誌「宝島」の誤植コーナー「VOW」に投稿しても、高確率で「ボツ」にされたと思う。「パ」の字が消えたネオンなら、編集者の興味を引いたかもしれないな…。
★追記(2014.9.3)第五富士さん
コメント、ありがとうございます。懐かしいですね。平成2年・冬ですと、新宿ジャンボのすぐ裏手、大ガード西の交差点に面した「新宿サンフラワービル」地下1階に、「パチスロランガー」という目立たないスロ屋がありました。宝くじ売場の右端にある狭苦しい地下階段を下りた所で、細々とやっていましたね。同じフロアには、当時「らんぷ」という軽食・喫茶店があって、コチラは現在も営業しています。ランガーは、何時顔を出しても「リバティベルIV」しか置いておらず、勝手に「ベルIV専門店」と呼んでいました(笑)。地上階段の入口付近に、「パチスロランガー」と書かれた小さな回転看板を出していました。
ただ、当時あの界隈では、ジャンボとニューミヤコ(現在カレイドがある所)の2軒に通う頻度が、圧倒的に高かったです。平成2年・冬は、ジャンボの1Fでニューギン「エキサイト123」、地下の階段下で西陣「ラスベガス」を打ちまくっていました。また、同じ地下には、アラジンとスーバニが背中合わせに置いてあり、ユニバ系のセンチュリー21やベルIIIもありました。ニューミヤコでは、ポチとかビッグシューターとかのハネモノを打っていた覚えがありますね。そういえば、ニューミヤコの小滝橋通り側入口を入るとスロットのシマで、コチラも当時はベルIVを置いてました。
一方のランガーは、ジャンボとミヤコをハシゴする途中「冷やかし」程度に入る感じで、腰を据えて打ちこんだ記憶はありません。「語る」程の思い出がないのが、非常に残念です…。平成4年春頃までは営業していましたが(この時も、相変わらずベルIVしか置いていなくて、店はガラガラでした…)、その年の秋には店舗も看板も無くなっていたと思います。あの店の事をブログで書く機会を与えて下さり、ありがとうございます。
(追記、ここまで)