まにあっく懐パチ・懐スロ

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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

タイムリー(マルホン、一発台)

2014-09-09 19:42:02 | 一発台



1990年(平成2年)にマルホンから登場した一発台(普通機)「タイムリー」


’90年後半から’91年前半にかけて都内でチラホラ見かけた、旧要件末期の一発台。新要件機の普及により、ホールから姿を消すのも、かなり早かった気がする。

当時、マルホンの一発台といえば、ミュージック、キャラバン、マリーナ、メガトン、エイトマンなど個性的なセンターヤクモノを有するタイプが多かった。

一方の本機は、派手なヤクモノなど全く使わず、「8」と書かれた赤いセンターチューリップや、ソデや下段のチューリップなど、いかにもオーソドックスな「チューリップ台」という感じだった。

しかも、上の画像のように、大当りしてセンターチューリップが開けば見栄えもするが、通常時の「8チューリップ」は、ピッタリと閉じた状態だ。普段シマに並ぶ本機を見ても、「地味」な印象ばかりが目立った。言葉は悪いが、台が「死んでいる」ような感じさえした。

初打ちした時には、これがキャラバン、ジャスティ、スターライト、フェアリーなどと同じ「一発台」とは、到底思えなかった。閉じたセンターチューリップの「8」の文字を眺めつつ、「果たして、どんな仕組みの台なのか」と疑問に思ったものだ。しかも、肝心の命釘をなかなか抜けてくれない辛さ。

だが、何度か打ってようやく大当りすると、貝のように閉じていた「8チューリップ」がパカッと開き、チューリップの先端にぶつかった玉が、意外なルートで「in」チャッカーに飛び込んで、下段チューリップとの連動で出玉がモリモリ増えた。通常時の地味さとは打って変わって、大当り中は、実に「アクティブ」な盤面の動きをみせた。

こうした一発台特有の釘調整や玉の動きは、一種の「芸術」ともいえただけに、返す返すも、1990年10月の規則改正⇒翌年・一発台撤去(新要件機登場)の流れは残念だった…。




★賞球…オール13
★本来は普通機だが、「完全一発型」(定量制)として使うホールが大半。
★当時の設置店…新宿・歌舞伎町「日拓III」、巣鴨駅北口「ニュー太平」「イブ」など
★ゲーム性


天横の命釘を抜けた玉が、内側のゲージを伝って、「in」チャッカー(上)に入れば大当り。
大抵のホールは、「in」真上の二本釘をこじ開けて、天横を抜ければ大当りとなる「完全一発調整」だったが、中には二本釘を狭くして、命釘を抜けても「in」の手前で外に逃げる、「振り分け調整」の店も存在した。



「in」チャッカー(上)入賞で、真下の赤いセンターチューリップ(8回開き)が開く。

右打ち不要調整の場合、開放したセンターチューリップの左先端に当った玉が、左サイドの縦3本釘にバウンドして内側に戻り、チューリップ下にある「in」チャッカー(下)に、頻繁に飛び込むようになる。右打ち調整の場合、チューリップ右先端のルートから「in」に入る。

なお、センターチューリップは8個入賞で閉じるが、一発調整なら入賞(パンク)はない。

その後は、「in」チャッカー(下)と、最下段にある3つのチューリップの連動で出玉を増やす。当時の新宿「日拓III」では、本機は完全一発調整で、「4000発定量」となっていた(3円交換)。一発来れば12000円。投資の上限は大抵4000円程だったが、当る時は当たった。

しかし、当時の12000円は、自分にとってホント「大金」だった。故・田山プロ風にいえば、一度当たっただけでも、「天下を取ったような気分」になれた。財布に10000円以上入っているだけで、何となく安心感があった(ハネモノなら、2~3000円で十分の時代だったし…)。後に、カードでパチンコを打つようになってから、万札の価値もクッと下がってしまったな…。