16番のアゴが強烈で呆然としてしまったな~
痛かったな~
でもバーディーも遼産だったよ
最終日の遼君画像
09.8.23 関西OP 5アンダー31位T
今日の紙面より
石川遼のチャージが「野芝ラフ」に阻まれた。
48位スタートから前半インを31で回って追い上げたものの
後半1番パー5で残り40ヤードのラフからの第3打に失敗しボギー。
結局68で通算3アンダー210の38位で終えた。
前週の全米プロまで1カ月以上も洋芝コースでプレー。
今週は久々の野芝を警戒していた中、痛恨のミスが出た。
追い上げムードがしぼんでしまった。
前半インを4アンダー31で回って折り返した直後の1番パー5。
ピンまで約40ヤード地点のラフから石川が放った第3打は力なくフラフラと上がり
グリーン手前バンカーへと落ちた。
この日の平均スコア4・426と最も易しいサービスホールで痛恨のボギーをたたいた。
「今日、明日で2けたアンダーを目標にしてモチベーションを上げていたのに。
自分で自分の流れを止めてしまった」
結局アウトは1オーバー37。
38位にとどまった17歳は不満げに肩を落とした。
警戒していた芝でミスが出た。
宝塚GC新Cのラフは「日本芝」と呼ばれ慣れ親しんでいるはずの野芝。
だが7月全英オープン以降、北海道の2試合、全米プロと洋芝でのプレーが続いていた
石川にとって優勝した6月ミズノよみうり以来の久々の芝質だった。
開幕前から「ヘッドの抜け具合が洋芝と違う」と注意を払っていた。
2日目18番では残り50ヤードのラフからカップへ放り込むスーパーイーグルを奪ったものの
この日は肝心な場面でミスが出た
「ヘッドを入れる場所が、ボールの手前過ぎた」と反省した。
首位との差は14打差まで広がり連覇は絶望的だ。
それでも、バーディーはこの日の7個を加え3日間で通算15個になった。
今季のバーディー率は目標の4・00を超え4・08まで上昇した。
「難しいという先入観があり過ぎてスタートダッシュに遅れたけど
これだけバーディーが取れるコースだと分かった」
最終日は19歳の前粟蔵との10代プロ同組対決となった。
ミスを恐れず、バーディーを量産していくつもりだ。
トーナメントは続けてあるしまた応援しますからね~
VanaH杯KBCオーガスタ
チップインバーディ雄叫びには笑えた
しっかしこの時の遼君めちゃくちゃかわいい
(2003~2008をクリックして下さいね)
2008年ハイライト
名人・達人の言葉
このパッティングフォームを石膏で固めてとっておきたいよ・・尾崎将司
1971年デビュー以来、実に国内112勝、
マネーランク1位は12回(73年ツアー以降)と
空前絶後の成績を残しているジャンボ尾崎だが、
いま振り返ると途中深刻なスランプに陥いっている。
賞金順位でみると、81年28位、82年16位、
83年はちょっと盛り返し6位だが、84年19位と沈む。
85年からは序々にランクをあげて
98年までにまさに第2次黄金時代を築くのだが、
この言葉が発せられたのは不調まっただなかの82年、
関東オープンに勝ったときだ。
尾崎の言辞には当意即妙、表現力があり、
ユーモアのセンスにあふれていて、
マスコミも試合後のインタビューはいつも楽しみにしていた。
見出しになる言辞をいつも発してくれたものだ。
スランプの自分を
「下向きの尾崎ではなく、ひたむきの尾崎をお見せします」
などともいっていた。
この年、ずっとパッティングに悩み、
やっと自分がしっくりするパットができ、
優勝したあとの記者会見で、冒頭の言葉を吐いたのである。
どっと湧く記者たち。
尾崎流のジョークだったが、300ヤード飛ばす男が、
1メートルのパットに四苦八苦する
ゴルフの不可思議さの真理をも衝いていたからこそ、
当時トーナメントを追っていた筆者の心にひっかかっていたといえる。
しかし考えて見ると、
ジャンボがこの大会に勝ったのはたったの6ヶ月ぶりで、
それだけ勝たないことが、当時は試合のたびに
≪ニュース≫になっていたのだから、
その強さがどれだけだったか想像できるだろう。
テレビの影響 8月13日(ゴルフジャーナリスト)
いよいよ明日全米プロが開幕する。
最後の練習日となった今日の水曜日。
新聞風に表現すれば「選手たちが最終調整を行った」となるわけだが
その最終調整ののち日本人選手たちの声を取材した
そんな中ちょっぴり驚いたのは石川遼の全米プロに対する元々のイメージの話。
石川はマスターズで優勝することに夢を抱き全米オープンや全英オープンの過去のチャンプや
逸話などをまあ、よくそんな古いことまで知っているなあと思うほど知っている。
それは今年、海外試合に出場したとき取材をしていて驚かされていたのだが今回の驚きはその逆。
たとえば私などは「全米プロといえば?」と問われたら先日もこのコーナーで書いたように
「ジョン・デーリーのシンデレラボーイデビュー」とか過去の話がいくつか浮かんでくる。
しかし遼くんにはそれが
「ないんです。来る前は、全米プロと全米オープンがどう違うのかもわかってなくて……」。
全米プロはメジャーなのになぜそれほど遼くんが知らなかったかといえばそれはテレビ中継の影響なのだ。
正確にいえば日本でテレビ中継がなさすぎたせいなのだ。
確かにここ数年メジャーの中で全米プロだけは日本での放送があまりにも少なかった。
いや、テレビのみならず新聞や雑誌などの紙媒体だって全米プロの報道が手薄だったことは否めない。
かつてゴルフ雑誌などはちょうどお盆に重なるから印刷会社などもお盆休みになるし
自分たちもお盆休みだから全米プロのレポートは要らないよなんて言っていた。
そんな中で育ってきた遼くんにしてみれば報道がないもの、少ないものは、知りようがなかったということだ。
「ジュニアのとき、僕らジュニアの間では片山さんが全米プロで4位になったと聞いて
すごいなあと思ったんですけどでも、どんなプレーをしていたのかとか、その映像は知らないんです」
しかし今年の全米プロは、その石川遼効果によって、日本への報道が花盛り。
もちろん映像も日本のテレビ局2社からお茶の間へ送られるしラジオ局もがんばっている。
紙媒体も大会ウィーク前から詳細報道を続けている。
だから現在のジュニアたちは「ああ、すごい!石川遼が予選通過したよ!」なんて言いながら
その場面を映像として頭の中に焼き付けることができる。
そうやって子供たちのモチベーションが上がることを考えると遼くんの出現は日本のゴルフ界の
将来未来にとってとても意義深いと今更ながらに思う。
日本のジュニアたちが脳裏に焼きつけ、刻む映像
――それが、遼くんのどんな姿になるのか。
せっかくなら、予選通過して、決勝でがんばり……そんなシーンになってほしい。
痛かったな~
でもバーディーも遼産だったよ
最終日の遼君画像
09.8.23 関西OP 5アンダー31位T
今日の紙面より
石川遼のチャージが「野芝ラフ」に阻まれた。
48位スタートから前半インを31で回って追い上げたものの
後半1番パー5で残り40ヤードのラフからの第3打に失敗しボギー。
結局68で通算3アンダー210の38位で終えた。
前週の全米プロまで1カ月以上も洋芝コースでプレー。
今週は久々の野芝を警戒していた中、痛恨のミスが出た。
追い上げムードがしぼんでしまった。
前半インを4アンダー31で回って折り返した直後の1番パー5。
ピンまで約40ヤード地点のラフから石川が放った第3打は力なくフラフラと上がり
グリーン手前バンカーへと落ちた。
この日の平均スコア4・426と最も易しいサービスホールで痛恨のボギーをたたいた。
「今日、明日で2けたアンダーを目標にしてモチベーションを上げていたのに。
自分で自分の流れを止めてしまった」
結局アウトは1オーバー37。
38位にとどまった17歳は不満げに肩を落とした。
警戒していた芝でミスが出た。
宝塚GC新Cのラフは「日本芝」と呼ばれ慣れ親しんでいるはずの野芝。
だが7月全英オープン以降、北海道の2試合、全米プロと洋芝でのプレーが続いていた
石川にとって優勝した6月ミズノよみうり以来の久々の芝質だった。
開幕前から「ヘッドの抜け具合が洋芝と違う」と注意を払っていた。
2日目18番では残り50ヤードのラフからカップへ放り込むスーパーイーグルを奪ったものの
この日は肝心な場面でミスが出た
「ヘッドを入れる場所が、ボールの手前過ぎた」と反省した。
首位との差は14打差まで広がり連覇は絶望的だ。
それでも、バーディーはこの日の7個を加え3日間で通算15個になった。
今季のバーディー率は目標の4・00を超え4・08まで上昇した。
「難しいという先入観があり過ぎてスタートダッシュに遅れたけど
これだけバーディーが取れるコースだと分かった」
最終日は19歳の前粟蔵との10代プロ同組対決となった。
ミスを恐れず、バーディーを量産していくつもりだ。
トーナメントは続けてあるしまた応援しますからね~
VanaH杯KBCオーガスタ
チップインバーディ雄叫びには笑えた
しっかしこの時の遼君めちゃくちゃかわいい
(2003~2008をクリックして下さいね)
2008年ハイライト
名人・達人の言葉
このパッティングフォームを石膏で固めてとっておきたいよ・・尾崎将司
1971年デビュー以来、実に国内112勝、
マネーランク1位は12回(73年ツアー以降)と
空前絶後の成績を残しているジャンボ尾崎だが、
いま振り返ると途中深刻なスランプに陥いっている。
賞金順位でみると、81年28位、82年16位、
83年はちょっと盛り返し6位だが、84年19位と沈む。
85年からは序々にランクをあげて
98年までにまさに第2次黄金時代を築くのだが、
この言葉が発せられたのは不調まっただなかの82年、
関東オープンに勝ったときだ。
尾崎の言辞には当意即妙、表現力があり、
ユーモアのセンスにあふれていて、
マスコミも試合後のインタビューはいつも楽しみにしていた。
見出しになる言辞をいつも発してくれたものだ。
スランプの自分を
「下向きの尾崎ではなく、ひたむきの尾崎をお見せします」
などともいっていた。
この年、ずっとパッティングに悩み、
やっと自分がしっくりするパットができ、
優勝したあとの記者会見で、冒頭の言葉を吐いたのである。
どっと湧く記者たち。
尾崎流のジョークだったが、300ヤード飛ばす男が、
1メートルのパットに四苦八苦する
ゴルフの不可思議さの真理をも衝いていたからこそ、
当時トーナメントを追っていた筆者の心にひっかかっていたといえる。
しかし考えて見ると、
ジャンボがこの大会に勝ったのはたったの6ヶ月ぶりで、
それだけ勝たないことが、当時は試合のたびに
≪ニュース≫になっていたのだから、
その強さがどれだけだったか想像できるだろう。
テレビの影響 8月13日(ゴルフジャーナリスト)
いよいよ明日全米プロが開幕する。
最後の練習日となった今日の水曜日。
新聞風に表現すれば「選手たちが最終調整を行った」となるわけだが
その最終調整ののち日本人選手たちの声を取材した
そんな中ちょっぴり驚いたのは石川遼の全米プロに対する元々のイメージの話。
石川はマスターズで優勝することに夢を抱き全米オープンや全英オープンの過去のチャンプや
逸話などをまあ、よくそんな古いことまで知っているなあと思うほど知っている。
それは今年、海外試合に出場したとき取材をしていて驚かされていたのだが今回の驚きはその逆。
たとえば私などは「全米プロといえば?」と問われたら先日もこのコーナーで書いたように
「ジョン・デーリーのシンデレラボーイデビュー」とか過去の話がいくつか浮かんでくる。
しかし遼くんにはそれが
「ないんです。来る前は、全米プロと全米オープンがどう違うのかもわかってなくて……」。
全米プロはメジャーなのになぜそれほど遼くんが知らなかったかといえばそれはテレビ中継の影響なのだ。
正確にいえば日本でテレビ中継がなさすぎたせいなのだ。
確かにここ数年メジャーの中で全米プロだけは日本での放送があまりにも少なかった。
いや、テレビのみならず新聞や雑誌などの紙媒体だって全米プロの報道が手薄だったことは否めない。
かつてゴルフ雑誌などはちょうどお盆に重なるから印刷会社などもお盆休みになるし
自分たちもお盆休みだから全米プロのレポートは要らないよなんて言っていた。
そんな中で育ってきた遼くんにしてみれば報道がないもの、少ないものは、知りようがなかったということだ。
「ジュニアのとき、僕らジュニアの間では片山さんが全米プロで4位になったと聞いて
すごいなあと思ったんですけどでも、どんなプレーをしていたのかとか、その映像は知らないんです」
しかし今年の全米プロは、その石川遼効果によって、日本への報道が花盛り。
もちろん映像も日本のテレビ局2社からお茶の間へ送られるしラジオ局もがんばっている。
紙媒体も大会ウィーク前から詳細報道を続けている。
だから現在のジュニアたちは「ああ、すごい!石川遼が予選通過したよ!」なんて言いながら
その場面を映像として頭の中に焼き付けることができる。
そうやって子供たちのモチベーションが上がることを考えると遼くんの出現は日本のゴルフ界の
将来未来にとってとても意義深いと今更ながらに思う。
日本のジュニアたちが脳裏に焼きつけ、刻む映像
――それが、遼くんのどんな姿になるのか。
せっかくなら、予選通過して、決勝でがんばり……そんなシーンになってほしい。