もう20年くらい前のことになってしまう、この文章を読み、過去を振り返ると、若い私からの声が聞えてくるようである。
「愛を持って歩んでいるのか」と。
「尊敬する人」
カルカッタ{現コルカタ}では、私達ステーションボランティアが触れる事の出来ないケースがある。その一つにアクシデントケースがある。たとえ、アクシデントケースの患者に出会い、その場に救急車も来なく、手助けをする人がいなくとも、その患者をマザーハウスには連れて行く事は出来ない。アクシデントケースはすべて最初に警察扱いになる。
今回のこんなケースがあった。その日は、私がアイルランド人神父のケビンとシアルダーのサウスステーションを回っていた時の事だった。
ケビンは本当にやさしく、太陽のように温かい男である。彼はカルカッタの本当に汚いスラムの中に3つ学校を作った。インドの国の許可などはまだ取っていなかった。許可などを取っていたら、何年も掛かってしまうからだった。私はケビンとの仕事は本当に楽しかった。いつでも、私を元気付けてくれた。私が心から尊敬する人の一人であった。
私がプラットホームを歩いていると列車の中を覗き込んでいる二十人ぐらいの人だかりに出会った。近づいてみると、その中心には血まみれの男が起きようとしては、倒れ、頭を打っても、また、立ち上がろうとしていた。回りにいるインド人達は、その彼に向かって、「寝なさい、寝なさい」と叫ぶように言い聞かしていたが、彼は多分、意識は無かったのかも知れない。何度も同じ動作を繰り返してた。
私は回りにいたインド人達に「どうしたんだ?彼はどこから来たんだ」と聞いても誰一人して知る者はいなかった。しかし、何人もの人達が私に「彼を運んでください」と願うように頼んできた。私は「分かった。今、シスターに相談してくるから、もう少し待ってくれ」そう言い、その場を離れ、隣のプラットホームを歩いていたケビンに話しをしに行った。
私達は何より先に彼を列車から降ろさなくては行けなかった。なぜなら、サウスステーションのどの列車も二十分ぐらいで発車してしまうからである。病人がいようがいまいかは関係なく発車するからである。彼はまた、どこかの駅まで運ばれ、ゴミのようになる死が待っているだけになってしまうのである。
私達は急いで彼のもとに戻った。しかし、血まみれの彼を素手で運び出す事は危険過ぎた。私は持っていた新聞を患者の背中、足の下に回し、半分をケビンに渡した。以前として、患者は狂ったように暴れていたので、ケビンの持っていた方の新聞がずれ、外れてしまった。私が「ケビン、大丈夫?」と聞くと、ケビンは「自分の事はいいから、このまま運び出そう」と言い、そのままは私達は患者を列車の外に運び出した。もちろん、ケビンの腕には患者の血が付いてしまった。
インドは計り知れないほど多くのエイズ保持者がいる。この患者がどんな病気を持っているかは分からない。その事はもちろん、ケビンも良く知っていた。彼のとった行動は問題があるかもしれないが、しかし、私は感じた。ケビンの愛と勇気を感じた。一刻でも早く患者を運びたい、自分の事よりも患者が大切であり、神様なんだと言う思いが伝わった。彼が素敵な心の持ち主だと言う事を改めて知ったのだった。
私達は患者をプラットホームに寝かし終えると、本当に急ぎ足で近くにあるディスペンサリー{マザーテレサの修道会の施設}シャンティ・ババンに向かった。しかし、私達には不安があった。彼はアクシデントケースの患者だったからである。シスターが「Yes]と言うか、どうか、分からなかった。それでも、シスターもこの場を見れば、分ってもらえるだろう。マザーハウスの救急車を貸してくれるだろう。そう期待した、そう思いたかった・・・。
シャンティ・ババンに着いた私達は、委員長シスターテレスィーナに患者の事を話した。しかし、やはりと言うか、どこかでは分っていたけれど、答えは「No」だった・・・。
私とケビンはどうしようもない憤りを感じていた。しかし、決して、シスターがいけないのでは無い事もしっかりと知っていた。このインドには問題が多過ぎるのである。言葉が無くなり、私は立つ事が出来なくなりしゃがみ込んだ。
何人かの、そこで働いていたボランティアも塞ぎ込む私達に気付き、「何があったんだ」と聞いてきた。私は答える気力もなく、ケビンが話してくれていた。
シスターは「祈りだけは出来る」といい、マーシーにホーリーウォーターを渡し、神父であるケビンに祈って来てくださいと話した。シスターもその場に行き助けたかったのかも知れない。しかし、行く事は出来なかった。もし、マザーの修道会のサリーを着て、死にかけている人を助ける事無く、祈りだけをしていたら、誰もマザーの事を愛してくれなくなるかもしれないことも想像出来た。
ちょうど、そこで患者の治療を終え、私達の話しを聞いていたボランティアに、「行ってみる?」と私は聞いてみた。ケビンも「見るべきだ。これがカルカッタの現実だから」そう言い、私達はスイス人女性ボランティアのクリスティーナとマーシーの4人で患者のもとに戻った。
私達が駅の構内を抜け、プラットホームに入ると、インド人の子供が「あの人、死んじゃったよ」と言いながら、私のそばに来た。私は嘘だろ、嘘だろ、ただただそう信じたかった。助ける事が出来ないと思い、足が重たかったが、子供の言っている事が本当か、どうかを確かめたく、自然に足が患者のいる方へと急いだ。
人だかりの中に行くと、彼は本当に息を引き取っていた。「どうしてだよ。なんでこんな事があるんだよ」と心の中で嘆いた。それから、血まみれになった患者の顔を綺麗にしてから、私は祈った。
私はこの悲しみを決して忘れない、この悲しみは、私の身体を傷付けながら通り、そして、愛に変わる。それは私が勇気の無い時に勇気を与えてくれ、私が苦しみの中にいる時でも人を励ます事の出来る力を与えてくれ、次に会う、もっと悲惨で苦しむ人に限りなく優しく出来るようにしてくれる。
ケビンは亡くなった患者のそばに来る事が出来なかった。神父である彼も神を信じきれなくなるくらい悲惨な状態だったからかも知れない。私には良く分かった、彼の痛みが・・・、同じ痛みを私も感じていたからである。
ほんの10分ぐらいの前には、患者は生きていた。「どこに行ったんだよ。お前はどこに行っちゃったんだよ」その問いが私の身体を悲しみに縛り付けていた。一緒に来たクリスティーナもどう理解していいか、わからない様子で、ただただ、手を合わせ、祈っていた。
私達は、深く祈り終えると悲しみを引きずった重い足でシャンティ・ババンに戻った。途中、私とケビンは肩を組んで歩きながら、こう言い合った。「自分達は、彼に触れる事が出来たんだ・・・」この意味は、最後の一瞬だったが、私達は愛を持って、彼に関わる事が出来たんだ。神に触れる事が出来たんだ。慰めにも思えるこの思いだが、私達の心は同じだった。
シスター達に患者が亡くなっていた事を話すと、彼女らも深い悲しみに包まれた。私は気持ちを落ち着けるために、外に出て、タバコに火をつけた。涙がどうしようもなく溢れてきた。煙草の煙が人の一生のように見えた。私の悲しみ、亡くなった彼の悲しみ、そんな事を知らない人達が、私の前を通り過ぎて行くのを見ながら、私はこう思っていた。
私は彼の死を決して忘れない。もし、私が忘れてしまったら、彼の意味がどこかに消えてしまう。彼は私の中で必ず笑顔になり、多くの人達に愛を与えて行く。
ありがとう、私と出会ってくれてありがとう。