カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

カルカッタのこと。2000年。その4。

2019-08-20 11:38:54 | Weblog

 タクシーに乗り、流れる景色を本当に嬉しそうに眺めていた彼を思い出す。

 インドでは貧しいものはタクシーなどは生涯乗らない。

 彼がタクシーに乗るのは彼は二回目だったろう。

 最初はハウラーステーションでゴミをあさり暮らしていたがすぐに病気になり、死にそうになり、意識があまりない状態の時にボランティアが彼をタクシーに乗せたのだろう、その記憶はないに等しい、この時が彼にとっては生まれて初めてのタクシーだったようだ。

 快適に走るタクシーから窓の外を子供のような笑顔でずっと彼は眺めていた。

 その彼を私は喜びに溢れ見ていた。



 「信じる心を」
 
 その日、私がステーションワークを終え、プレンダン{現コルカタ・マザーテレサの施設}で働いている時にシスターオルガに呼ばれました。シスターオルガは最近、プレンダンの男子病棟の委員長になったシスターです。彼女とはいろいろと言い争いもしましたけど、私が尊敬するシスターの一人です。彼女はシスターになる前はナースでしたから、患者に対するケアの仕方が本当に素敵でした。  
 
 彼女が私を呼んだのは、患者の一人が自分の家に帰りたいので駅まで送ってくれとの事でした。その患者は列車の中で、誰かに騙され、金もチケットも盗まれ、ハウラーの駅に辿り着いたそうです。金も無ければ、字も読めない彼は、駅で何日間か、生活していたそうですが、病気になり、ハウラーのステーションワークをしているボランティアがプレンダンに彼を運んだそうです。日本では有り得ない事と思われるでしょうが、このようなケースは本当に多くあります。金を奪われ、騙されたと警察に行ってみても、貧しい彼らのためには、警察は全く動いてくれませんし、家も無い人たちが自分の住所など知り得るはずがありません。家族のもとに帰りたくても帰る手段がないのです。
 
 インドには22の言葉{厳密にはそれ以上にたくさんと言われている}があります。学校に行けなかった人は働きながら、公用語であるヒンディー語を自分の力で学んでいくのです。しかし、話すことは出来でも、読み書きまでは難しいのです。それと、列車の中には、プロの詐欺師がいます。日本人ツーリストがよく騙されるように、インド人も騙され、駅で倒れていたり、そのまま死んでいく人も多いのです。  
 
 私はシスターの頼みを喜んで受けました。それは、このように駅では、誰からも救われずに亡くなっていく人たちを毎日のように目にしてきたからです。私は本当に心から嬉しくなりました。プレンダンの昼食を終えた、その患者は、真新しい赤い服とルンギを身にまとい、片足引きずりながら、私の前に現れました。不安そうな顔と家族に会える喜びの顔を持ちあわせながら・・・。  
 
 シスターオルガは、彼の赤いシャツの襟を直しながら、彼にこう言いました。「この赤い服を着ていれば、あなたがクリ―のように見えるから、騙されないよ。しっかりと今度は、チケットを持って取られないようにするんだよ。分かったね。」 クリ―とは駅で荷物を運ぶ労働者のことです。彼らの上着は赤いシャツですから、それに見合わせて彼の服をシスターが選んだのです。彼はシスターに向かって、ふかぶかと礼をし、彼女と握手をしました。それは心と心を結んでいるように、私には見えました。  
 
 私はプレンダンのマーシーにタクシーを呼んでくるように頼み、シスターに私の手助けをしてもらうボランティアを二人連れていくと告げ、イタリア人の男性と日本人の女性を選びました。私は彼らに知ってほしいと望んだのです。どのような人たちがこの場所にくるのか、どういう状況の中、このマザーの施設に運ばれてくるのかを。そして、どのようにこの施設から出て行くのかを・・・。言葉では簡単に説明がつかないのです。その間には多くのドラマがあり、苦しみと涙があるのですから・・・。それと、もちろん、駅では大変なことになることが想像つきますから。自分一人で足の悪く、金持ちには見えない患者と一緒にチケットを買うことなんて不可能に近いことを知っていましたし、彼をこれ以上、不安がらせることをさせたくはありませんでしたから。もし、駅で私とその患者だけでチケットを買っていたりしたら、何十人というインド人が集まり、中には私のことを平気で騙す人も現れますし、私と放れた後、また、誰かに騙されるかもしれませんから・・・。  
 
 タクシーが着き、プレンダンを旅立つ準備が整い、シスターたちと多くの患者に見送られ、私たちはハウラー駅に向かいました。その患者はタクシーに乗るのは、これが最後になるのでしょう。普段の生活の中では、タクシーなどには乗れませんから。心地よい風が彼に笑顔を運んでいるかのよう、落ち着いた幸せの笑みを浮かべていました。私は嬉しくて涙が出てきたくらいです。私は何百という傷ついた人たちをタクシーで運んできました。タクシーの中で患者を亡くしたこともあります。元気になって家族のもとに帰る患者を見送ることは本当に嬉しいのです。  
 
 駅に着くと、ほこりが舞う雑踏の中をゆっくりと歩く患者の手を引きながら、私には次の不安がありました。それは旅慣れていない私がちゃんとチケットを買えることが出来るかと、列車がうまく出発するかということでした。思ったとおり駅では何度も「あそこに行け、こっちに行け。」、「誰が乗るのか、冷房車がいいのか。」、「俺が買ってやる。お金を出せ。」、「列車は今日はない。」、当たり前のように自分を騙す人たちに囲まれて、かなり辛い思いをしましたけど、どうにか、チケットを買うことが出来ました。それも、列車は10分後に出発するのです。私たちは急いでそのプラットホームに行きました。

 手荷物も何も持っていない彼に、私は列車の中での食べ物と水を買い与えていると、まわりはすでにインド人であふれていました。想像がつかないでしょうが、インド人は見物好きというか、なんと言うのでしょう。何かがあると、すぐに人だかりが出来ます。もちろん、その中には物乞いもいます。私はすばやく買い物を済ませると、彼にまわりの人に見られないようにチケットと少しのルピーを与え、彼の手を引き、列車の中に入りました。ツーリストなどいない一般車両の中は人で溢れかえっていました。しかし、ほんの狭いところでしたが、彼を座らせることが出来ました。私は持っていた食べ物と水を彼に渡すと、彼の額に手をあてて思いの限り祈りました。すると、彼はその手を自分の胸元に持ってきて、満面に笑みを浮かべ、私に感謝の心を伝えたのです。私は涙が出るほど感動しました。
 
 「分かりますか?」、彼は人に騙され、病気になり、絶望を味わい、死の淵にいたのです。しかし、その彼は今、もう一度、人を信じることを学び、感謝する心を覚え、喜びを感じながら家族のもとに帰るのです。このカルカッタには何万というほどの貧しい人たちが生活をしています。マザーの言う「私たちの仕事は大海の中の一滴ようなもの」 私はこの一滴の奇跡を見たのです。マザーの本当の偉大さを改めて実感したように思えたのです。
 
 私たちはこれ以上、周りに人が集まると危険になると考え、彼のことが心配でしたが、列車の出発を待たず、祈るようにして、その場を離れました。疲れていたはずの身体がとても軽くなったことを今でも覚えています。

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