私は歳を取ったから、ここ最近、涙もろくなったのか、と思っていたが、そうではないかも知れない。
私はカルカッタ{現コルカタ}で働いている時によく涙を流した。
流した涙を超えて、感情を超えようと努め、祈りに祈り、この身体を動かしていた。
下記の文章の一人の患者はその後、マザーテレサのブラザーの会の施設に収容された。
「私の罪」
それは私が毎朝シアルダーの駅を回る{ステーションワーク・瀕死の患者のマザーテレサの施設に運ぶボランティア・長期滞在者のみ}前に訪問していた病院での事だった。
その病院のトイレの前には精神障害の二人の患者が鉄板で造られている患者を運ぶ運搬用のベットの上で生活をしていた。
彼らの毎日はベットの上のみ、外の光や匂いなどがさえぎられている場所、その隣には毎朝、他の患者達から出る、悪臭放つゴミの山の横だった。
ゴミには糞尿はもちろんのこと、切り落とされた足や手も含まれていることもあった。
彼らは病室に移れるわけでもなく、無期限にそこで厄介者を飼うように扱われ暮らしていた。
その患者の一人は三年前に私が訪問を始めた時から居た。
働いてるワーカー達からさえも馬鹿にされながら日々を送っていた。
彼らは頭から汚れきったモーフに身を包みながら獣のように生きていた。
信じられない光景がそこにはあった。
人間の住めぬようなところ、生きれぬようなところに彼らは居た。
病院で働くワーカーの中には彼らに会ってくれと言う、やさしさを持つ者も居た。
私は彼らにいつもビスケットをあげていた、しかし、そのビスケットはすべての患者に配っていた訳ではなった。
子供や全くというほどお金がなく、誰も訪ねてくる者がいない患者にだけにビスケットをあげていた。
彼らの生活状況はあまりにも悲惨、言葉で言い表せないほど悲惨であった。
同じ人間、それもとても弱い人なのに・・・、私は彼らに会う度に現実の不条理に目の当たりにし、また自分の無力さでつぶされそうに何度もなった。
私の出来ることはこの病院内では限られていた。
どうすることも出来ない力の無さに涙を飛び越すような重い心持ちがあった。
ある日の事だった。
私とジョアン{ニュージーランドの女性}で彼らの前に行った時だった。
一人の患者が両足と片手をベットに縛りつけられていた。
それも何の服も着せられていない状態で・・・、私は言葉が出なかった・・・、私のすべてがあまりのショックに固まり、怒りを通り越したかように・・・。
どうしてこんなことが有り得るんだろうか、理解する事が不可能だった。
私は自分のバックからTシャツを出し、彼の体を覆い、彼の身体を温めるようにさすった。
どうすることも出来ない憤りを感じながら・・・、そして、いつもより多くビスケットを残し、その場を胸を痛めながら去った。
次の日、同じように私とジョアンはトイレの前に居る、彼らのところに行った時だった。
昨日、私がTシャツをあげた彼がゴミの上に裸のままベットにつながれたまま倒れていた。
私が彼に近づこうとするとワーカー達が「死んでる、死んでる」と言い、私を彼に近づけようとはしなかった。
その時、私は「お前達が殺したんだろ・・・」 心の中で叫び、怒り、悲しみ、体が引き裂かれるような苦しみが全身を駆け抜けた。
人の命を何だと思っているんだ・・・、言葉が急に出ない分、涙が溢れ出た。
私達はどうすることも出来ず、その場を去り、病院の外で、私は泣き崩れながらも気付いたことがあった。
私も彼を殺したんだと・・・、何も出来ずに、何もせずに、ワーカー達にも彼のことを聞くこともしなかった。
私がもっと注意して彼のことを思い考えていれば、彼は亡くなる事は無かったかも知れない・・・。
私がジョアンにこう言うと、しばらく経ってから、彼女は、こう答えた。
「昨日、彼の体にふれた時には、私はもう彼は長くはないと思っていたよ」
そんなジョアンの慰めより何より、私は私の愛の無さ、無力さ、勇気の無さがどうしても許せなかった。
事実、怖かったかもしれない、面倒だったのかもしれない。
心の中にある私自身の弱さを叩き付けられた。
しかし、それでも私は悲しみの内に自分を見失いたくは無かった。
意地っ張りな私が涙を通り越して、弱い私に問いかけてきた。
「ここにお前は何をしに来たんだ。苦しみ悲しみ嘆きに来たのか?愛あるお前の笑顔はどこに行くんだ?」