カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

山谷のこと。2000年。

2019-08-12 11:29:08 | Weblog

 私は私に問いかけることがある。

 「お前はほんとうに頑張っているのか?もっと頑張れるのではないのか?」と。

 これはありのままの私を受け容れられないと言うことではなく、ありのままの私を可能な限り受け容れた上でもう少し頑張れるだろうと、私が私に期待する心の声である。

 私は私を内省し、私の内の不十分さを認めずにはいられない。

 だが、私は私に期待する。

 「もう少し微笑め」と。


 「落し物」
 
 昨日、隅田川の河原でカレーを配り終わり、おじさんたちが並んだ後の掃除をしていた時、ビニール袋に入った汚れた小さなアルバムを見つけた。

 私は何気なく、そのアルバムを開いてみた。
 
 その中にはなんと、多分、このアルバムの持ち主である家族の写真があった。

 白黒とカラーの写真で小さな子供と奥さんの写真、子供の幼稚園の学芸会の写真、どこかの公園でとった子供の写真、顔をペンで黒く塗りつぶしてある写真、その多くは子供と奥さんの写真であった。

 私の身体が急に固まり、どうしようもない切なさに包まれた。
 
 山谷にいると言うことはいろんな事情があるだろう。

 この街に来る人には、罪を犯し、家に帰れなくなった人や借金を作り、帰れなくなった人、重い病気になり家に迷惑をかけたくないために死に来る人、心が自分のした事に対して絶えられなくなった人、他人との関わりに疲れ果てた人、そして心を閉じた人、本当に様々だろう。

 私はその写真を見ていて、この人はどんなに家に帰りたかったんだろうか、と痛切に感じた。

 何百回、このアルバムを開いたのだろうか、辛い時に何度、この写真に励まされただろうか、何度泣きながら、このアルバムを開いたのだろうか、死のうとした時もあっただろう、しかし、このアルバムがやさしく何度々なく微笑んだのだろう。

 このアルバムが生きる糧となり、生きる力となり、勇気になり、どうしようもないほどの切なさにもなっただろう。

 汚れた小さなアルバムから凝縮された想い出がいろんな声とともが飛び出した来た。

 その人の人生の厳しさや空しさが私に真正面から体当たりしてきたようだった。
 
 「いつか、どうにかなる」、そんな気休めの言葉は悲しく、どっかに飛んで行った。

 私に出来ることは・・・、私がしていることは・・・、彼らの何なるんだろうか? 

 もっともっとしっかりと愛を持たなくてはいけない。

 限られた時間の中でもしっかりと彼らの心を見なくてはいけない。

 私は自分にそう言い聞かせた。

 彼らはほんとうに傷付き、孤独の中、空腹のうちに健気に生きている。
 
 時に生きる事は辛く悲しいものであるかも知れない、しかし、どうにかして生きてください。

 あなたを思う人が必ずいます。

 遠く離れていても、一生会えなくても必ずいます。

 きれい事を言って片付け、慰めるような事はしたくはないけれど、どうにか生きてください、そう願い祈り、そのアルバムを私は閉じた。
 
 あなたの愛した証はこの世の中に確かにいますから。

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80歳のホームレス。

2019-08-08 11:49:02 | Weblog

 先週の土曜日はカレーの炊き出しが配られる白髭橋まで自転車がなかったので歩いて行った。

 物凄い暑さで息が上がり気味になり、白いシャツの内側は滝のように汗が流れ落ちて行った。

 しかし私はたまには歩くのも良いと思っていた。

 それはカレーの炊き出しに来るおじさんたちのほとんどはこの暑さの中を空腹で歩いてくるのである、その思いをほんの少しでも感じれるからである。

 それと一人ひとりはどんな思いで歩いてくるのかを心を使い、彼らへ思いを寄せ、汗を流せるのである。

 そして一緒に歩くことも出来るのである。

 この日、私は帰り際にグラサンを掛けたおじさんに声を掛けた。

 彼の持ち物、カートの付いたバッグに傘を巻き付けてあり、それを見て、路上生活だと思った。

 しかし髭は綺麗に剃られ、身だしなみも綺麗だったがやはり聞いて見ると路上生活をしているとのことだった。

 彼の歳はなんと80歳で76歳まで働いていたとのことだった。

 証券会社で働き、粉飾決算をして捕まり、その返済も終えたと言っていた。

 自分がそうして路上生活になったのだから、それは自分が悪いことで仕方がないとすっきりと割り切っていた。

 そして彼は今を楽しんでいるように生き生きとしていた。

 私は彼の潔さと謙虚な態度に感服しながら、彼の話しを一緒に歩きながら聞いた。

 私には証券のことなど良く分からないが、彼は奢ることなくニコニコしながらいろいろと話してくれた。

 私は何度も思い知らされる、彼らの素晴らしさを。

 彼らはいつも教えてくれる、どう生きるのかを。

 

 
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山谷のこと。2002年。その2。

2019-08-07 11:35:00 | Weblog

 もう今の山谷には彼のような豪快な人は居なくなったかも知れない。

 そう思うと、少し寂しい気もしてしまうのである。



 「春の風とケンカ山」

 その日はほんとうに穏やかな良い天気だった。
 
 山谷にも久しぶりに下駄をはいて向かった。爽やかな風を浴びながら 隅田川の白髭橋を歩いていると、私の目の前を歩いていた叔父さんは大きな声で独り言を話していた。それは独り言だったが独り言ではない感じがした。軽快に周囲3メートルぐらいのものすべてに話しかけているようだった。一人、バリアをはって、一人で自身を守っているような孤独が見えたが、春の風が優しくその孤独を包み隠しているようだった。
 
 ビニール傘を肩にかけ、背に荷物の入ったビニール袋を背負っている彼の小柄な後姿は春の風のせいか清々しく見えた。意気揚揚と歩くその姿は何度も航海を終えた船乗りのようにあった、事実、彼は荒々しい人生という航海を乗り越え生きぬいてきたことに違いはないはずだ。
 
 そんな彼がさり気なく歩きながらこう言い放った。
 
 「なんだょー、最近のハトは腹がへってねぇーんだ、パンの切れ端もたべねぇーのか!」 そう言うと彼は道端に落ちていた食パンの切れ端を拾い取り、おもむろに口に入れ、また軽快に歩き出して行った。
 
 あっけに取られた・・・、それでも、なんだか笑顔になった、優しい気持ちになった。決して、馬鹿にしているように笑ったわけではない、ただ、「強い・・・」と思っただけだった。生きていく強さ、自分を生きさせるために動く、その姿があまりに自然で意気揚揚としていたからだ。
 
 彼の独り言は羞恥心の現われだろうが、それは生きていくための、自分を生きさせるための行動の一つであり、彼にとっては必要なのであろう。
 
 人は裸では生きていけない、目に見えるもの、目には見えないものも用いて生きていく、化粧するように、独り言を言いながら歩くように、大切なこと、自分を生きさせながら生きていく。
 
 春の風と下駄の音、冬を乗り越えた心地よさが、私を明るくしてくれていることを感じていた。
 
 私はもちろん彼に話しかけた。彼は片目を失明していたが、明るさを失ってはいなかった。二年ぶりに山谷に帰ってきたらしい、自分のことを「ケンカ山」と言って、お前も知っているだろうと言わんばかりに話していた。
 
 その風貌はその名の通り、ケンカばやそうだったが、彼の話は面白く笑わされっぱなしだった。彼に一本のたばこをあげて、その場で別れ、自分はカレーを待つ、列の一番前に向かった。
 
 「おはよう」の一言を言いながら、カレーの炊き出しを待つ彼らのそばにいくと、久しぶりに下駄をはいて行ったので、叔父さん達から、「やっと下駄になったねぇー」「トレードマークの下駄になったねぇー」「やっぱ、下駄が似合うねぇ」と言われ続けた。私は少し照れながら彼らと話していた。
 
 列の後方まで挨拶をしていくと、「ケンカ山」の彼に出会った。
 
 「あれっ、なんで、にぃーちゃん、こんなとこいるの?」 彼は目を丸くして言った。
 
 「自分はここでカレーを配っているんだよ」 そういうと「へぇー・・・」とでも言っているように彼はうなずき笑っていた。
 
 彼は多分、私の丸坊主の頭と下駄を見て、山谷に住んでいるちょっと気前のいい男とでも思っていたのだろう。私も笑い返した・・・。
 
 その日は暖かく穏やかな一日だったが、もちろん、その暖かな日を喜べる人達ばかりではなかった。
 
 カレーを食べ終わり、帰る彼らに声をかけていると、白髪混じりの七十近い叔父さんがよろけながら歩いていたので、近くに行って話しかけた。彼はケンカをしたようで両目にあざが出来ていた。
 
 「どうしたの?大丈夫?ケンカでもしちゃった?」
 
 彼はため息を吐きながらうなずくと、「焼酎飲ましてくれよ・・・」とこぼした。
 
 「ダメだよ、呑んでばかりいたら体に良くないよ。しっかりとカレー食べてね、カレーは食べないの?朝はちゃんとご飯食べたの?」彼はカレーを食べずに持っていた。
 
 「いやぁー食べたくないよ、ただ呑みたいだけだ・・・」
 
 七十近い男がどうしてケンカなど・・・とそう考えていた。心が苦しく痛んだ。彼は生きるために自身を生きさせるためにケンカをしたのだろう。誇りを守るためだったかも知れない・・・。不器用な生き方しか出来ないからだったかもしれない・・・。前かがみによたつきながら歩く彼の後姿は、私の目をそらさせようとはしなかった。
 
 このような現実は山谷では決して珍しいことではない、しかし、自分が傷き痛むことに慣れたくはないと思っている。実際、慣れはしないが、とことん痛みを感じ取ろうとする。どんな小さなことにも、どんなに些細なことにも気付くようあるべきと考える。
 
 なぜなら、私は無力であり、矛盾しているからだ、心のどこかには必ず嫌らしいものがあるからだ。それでも、そんな私でも何かがこのうちにあると信じ彼らと出会っていきたい、そうさせる魂がある、それは自分自身を生きさせるものなのだろう。
 
 春の風は暖かさを運ぶとともに冬のなごりも運ぶものなのだろう。
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山谷のこと。2006年。

2019-08-06 12:03:35 | Weblog

 今でも私は彼らから教わっている、彼らが私の師であると思っている。

 
 「有り難いこと」
 
 昨日の山谷MCのカレーの炊き出し。
 
 春先になると人が増え550人ぐらい人が来た。それでも、70人ぐらいカレーが足りず、お腹を空かせたまま帰って行った。自分達は隅田川で配っている。みんな遠くから老いたカラダ不自由なカラダを空腹のままに動かし来てくれる。
 
 カレーが足らない時はいつもほんとうに苦しくなる、ずっと謝り続ける。善意が憎しみに変わる瞬間をまざまざと観るからである。
 
 謝ったところで彼らの空腹はどうにもならない、しかし、謝るしかない、恨みの愚痴も怒りも出来たら話し合えたらと思い、丁寧に彼らと会話をする。
 
 昨日は一人の優しい男に会った。彼はもう10年山谷にいる。彼とは良く話す間柄だ。
 
 彼はカレーをもらえないことを笑顔で「良いから、大丈夫だから」と笑いながら帰って行った。 彼の帰る後姿をずっと追ってみた。ペットボトルに入れた水を空腹を誤魔化すように呑んでいた。落胆に満ち空腹なのは一目瞭然だった…。
 
 炊き出しを終え、帰り道、また彼を見かけた。
 
 彼は普段から紳士であり、山谷でプロテンスタントの洗礼も受け、宗教心があり感謝の心を持つ者だ。
 
 その時、彼が歩きながら何を見ているかと言えば、落ちているゴミから何か食べるものはないかと探していた。
 
 潰れた小さな日本酒のパックも手を延ばそうとしていたその時に私は声をかけた。
 
 無意識かもだったかもしれない、私は彼がそのパックを手にするのを見たくなったのかもしれない。
 
 私は彼の肩を抱き、背中をさすり、また謝った……。

 彼は「糖尿だし、{酒は}医者にも止められているから」笑って答えてたが……。
 
 その時、私は自分の内側にある罪悪感を感じていた。
 
 ないものはない、ないものは与えることはできない。がしかし、謝ってばかりの私、そのままにしてられないのは自分自身の嫌らしさのように思えてしまう。彼をそっとさせてあげることの出来ない勇気のなさかもしれないとも思った。
 
 判っていることは愚かな私はいつでも簡単に過ちを犯してしまう。
 
 私には自分を罪人にして罪を逃れようとする罪を感じていることの意味、相手を傷付けていることを感じる勇気と繊細さ、矛盾を受け入れ続ける揺るぎ無い努力とほんとうの意味での正直さ、その責任を感じながらも私自身を見失わず、安心感を持つこと、そして、強い偏りのないバランスのとれた精神が必要になる。
 
 その必要性はいつも彼らが教えてくれている。有り難いことである。

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気付き。

2019-08-05 19:15:34 | Weblog

 
 仕事場まで行く途中、私は自転車に乗りながら、家々の観葉植物や木々を見るのが好きである。

 最近、一つ嬉しいものを発見した。

 それは実のなっているパッションフルーツを初めてみたのである、これは私の家のパッションフルーツも必ずなると言う確信と喜びを私に与えてくれた。

 自転車を止めて、良く見てみると、鉢植えで三つなっていた。

 一つはもう卵の大きさになっていて、後の二つはまだミニトマトを少し大きくした感じであった。

 生まれて初めて見るパッションフルーツの実は緑色のツルツル卵のようで見ているだけで何とも微笑ましいのであった。

 私の緑のカーテンはまだ花芽を持たないパッションフルーツではあるが青々と生い茂り、やっとゴーヤがなり始め、西洋朝顔が微笑みようになった。

 今夜もゴーヤを一つ食べる予定である。

 星の王子さまのなかの言葉。

 「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」

 私は私の緑のカーテンの手入れをしながら、この言葉の意味を広げて考えてみる。

 そして、マザーテレサの言葉を思い出す。

 「洗濯や掃除、介護などに費やされる時間は決して無駄ではありません。その時間はイエスに捧げられたのです」

 いま、もしまだこの言葉の意味が感じられないのであっても心配することはない、星の王子さまはこう言っている。

 「ぼくはあの花を愛していたんだ。ただあの頃のぼくには、花を愛するということが、どういうことなのか、分からなかったんだ」

 大切なことはなくなってから、気付くのだろう、しかし、いま気付いても良いのではないだろうか、星の王子さまはそう言っているのかも知れない。

 大切なもの、きっとあなたの周りにあるでしょう。

 いま、それに気付きましょう。

 
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夜の散歩の前に。

2019-08-01 12:03:14 | Weblog



 私は仕事から帰ると、まず晩酌の用意をする。

 私が帰って着ても、迎えにも出てこず、愛犬あんは寝ている。

 {たまに迎えに出てくることもあるが}

 それでも、料理をし始め、何かいい匂いがしたり、あんのためのリンゴを切ったりしているとのこのこと起きて来て、何か食べ物をちょうだいと言いたげに寄って来る。

 しかし、何もないとすぐに諦めて、ソファーに寝る。

 私はあらかた晩食の用意が済むと、「あん、散歩に行こう」と言って、あんのところに行く。

 あんはしらーっとしているが、ほいっと後ろ足をあげ、お腹を撫でてポーズになる。

 私はあんのお腹を撫でこねくり回す。

 上記の写真はその時のものである。

 それから、あんを抱っこして玄関に連れて行き、私は缶ビールを一本持って、玄関を出ようとする。

 あんは決まってこの玄関を出る時にダウンドッグのポーズをする。

 まずストレッチと言わんばかりに身体を伸ばすのであるが、それがほんとうにヨガのダウンドッグのポーズ、そのままであるに感心するのである。

 背中を伸ばし、その後、お腹を伸ばしてからでないとあんは歩かないのである。

 「あん、行こう」と言って玄関を出る。

 私はピシッと缶ビールを開け、「あん、乾杯」と言う。

 あんは散歩の前のルーティーンの最後、身体をブルブルしてから歩き始める。

 私の至福の時、あんと夜の散歩に出かけるのである。

 そして私は夜空を見上げ、今日もつつがない一日であったことを思い、感謝しながら歩く。

 あんはトコトコ歩き、電柱などを楽しそうにクンクンしながら歩くのである。

 

 
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