![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8e/c810e98345e71610c104bb8368d24724.jpg)
イエスは忍耐強い
救い主が行動してくださるのを待っているとき、救い主の心が私たちに対して優しいことを思い出すと助けになります。
ヨハネによる福音書 11:3-6 新共同訳
[3] 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。 [4] イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」 [5] イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。 [6] ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。
ヨハネの黙示録 21:4 新共同訳
[4] 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
私たちは、多くの気まぐれや欲望が瞬時に満たされる、ペースの速い社会に住んでいます。 肉の衝動に基づいて行動することを控え、代わりに神の完璧なタイミングを待つには鍛錬が必要です。 聖霊の助けがなければ、私たちはすぐに熱心になりすぎて落ち着きがなくなる可能性があります。
イエスが御父の御心に沿って御自分の力を行使するのに要した忍耐と自制心、特にイエスに近い人が苦しんで亡くなったときを考えてみましょう。 ラザロが病気であることを知ると、主は愛する友人のベッドサイドに急ぐ代わりに、2日間延期されました。 なぜ? イエスは、神の救いの計画が、単なる肉体的な癒しによる死の防止よりもはるかに大きなものであることを知っていたからです。 ラザロ、イエス、そして神の名を呼ぶすべての人に対する神の計画は、死からの復活と永遠の命への復活です。
この世の苦しみや死を目の当たりにすると、簡単に落胆してしまうことがあります。 しかし、ラザロを復活させる父のタイミングを待ったイエスの模範は、すべてのことに辛抱強く耐えるように私たちを誘っています。 待ったり泣いたりしているのは私たちだけではありません。 イエスも涙を流されました。 希望を持つ者として、私たちは物語がどのように終わるかを知っています。神は私たちの目からすべての涙をぬぐい、死はもはや存在しません(黙示録 21:4)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます