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ベーシックインカム論の前提としてのポール・ラファルグ「怠ける権利」

2010年04月13日 20時37分30秒 | Weblog
■本書の成り立ち

「怠ける権利」はフランスの社会主義者ポール・ラファルグが1880年に週刊誌「レガリテ」への論文として刊行されたとされる。それは、ルイ・ブランが著わした「1848年の労働の権利」への反駁として書かれたと、ラファルグは1883年の再刊の序文に記している。
日本では田淵晋也により翻訳され、1972年に人文書院から刊行され、2008年には平凡社ライブラリーから再刊された。平凡社ライブラリーは文庫の体裁だが、それでも序から付録まで全64ページという短い著作である。

■構成 以下の通り。

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1 災いの協議
2 労働の恵み
3 過剰生産のあとに来るもの
4 新しい調べには新しい歌を
付録
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■概要

1 災いの協議

「資本主義文明が支配する国々の労働者階級」は、「労働への愛、すなわち各人およびその子孫の活力を枯渇に追い込む労働に対する命がけの情熱」に取り付かれていると警告している。また、「資本主義の社会では、労働が一切の知的荒廃と整体の歪みの原因となっている」と結んでいる。

2 労働の恵み

「現代の工場は労働大衆を幽閉し、男のみならず女子どもにも12時間から14時間の強制労働を課す理想的な懲役施設になったのである」と現状を告発し、その惨状の実例をいくつもひきながら、「1848年の(二月)革命のあと、生産工場内の労働を12時間に限る法令を革命の一成果として受諾」したことに対して、「フランスのプロレタリアートよ、恥を知
れ!」と糾弾している。

3 過剰生産のあとに来るもの

機械の発明が奴隷を解放するはずだったものが、そうならず、「労働の邪で殺人的で盲目的な情熱が、解放者である機械を自由人を奴隷におとす凶器に化けさせた。機械の持つ生産力が彼らを貧しくしているのだ。」

またその結果、「資本者階級の側は、怠惰と強制快楽と日生産と過剰消費を押し付けられる破目に追い込まれたのだ。」「非生産者と過剰消費者という二重の機能を果たす為に、ブルジョワはその質素の趣味をねじ曲げて、2世紀前の勤勉な習慣を失い、桁外れの贅沢と松露の消化不良と梅毒まみれの放蕩を一身に引き受けねばならないだけでなく、手助けを得るためにおびただしい数の人間を生産労働から引き抜かねばならなかった。」

それは、工場労働者+鉱業労働者を上回る人数の使用人階級を登場させた。それでも過剰生産を十分に埋め合わせられない結果、過剰な労働と失業が繰り返されている。

結論として、労働時間の短縮のほかに解決はないことを述べる。
「偉大なイギリスの実験がここにある。若干の利口な資本家の実験がここにある。これらは、人間の生産力を高めるには、労働時間を短縮し、給料日と祭日を殖やさねばならぬことを異論の余地がないほどはっきりと証明している。なのにフランスの民衆は分かっていない。そうなのだ、わずか2時間ばかりの削減が、10年間でイギリスの生産を約3分の一増大させたとしたら、一日の労働時間を3時間に切り下げたら、フランスの生産は、どんな目の眩むような進歩を遂げることか。過重労働で草臥れ、彼らは自分たちの体力と子孫の活力を枯渇させていること、擦り切れてしまい、老境に入る前から、どんな仕事もできなくなること、たった一つの悪習に没入し、惚け切って、もはや人間ではなく、ずんぎりの丸太棒にすぎぬこと、労働の燃えたぎる狂気だけをたやさず、栄えさせるために、自分たちの中にあるすばらしい能力を殺していること、そうしたことが労働者らはまったく分かっていない。」

4 新しい調べには新しい歌を

労働時間が短縮された世界がいかなるものか、辛辣な風刺を交え描写する。労働者は消費者となり、「ブルジョアジーは万能消費者の任務から解放され、消費と浪費を手伝わそうと有益な仕事から引き抜いてきた兵士や、役人や、お抱えジャーナリストや、女衒などの烏合の衆を早々に解雇するだろう。そうなれば労働市場は溢れ出し、労働を禁止する厳しい掟が必要になるだろう。」

「もしも労働者階級が、彼らを支配しその本性を堕落させている悪癖を心の中から根絶し、
資本主義開発の権利にほかならぬ人間の権利を要求するためでなく、
悲惨になる権利にほかならぬ働く権利を要求するためでなく、
すべての人間が1日3時間以上労働することを禁じる賃金鉄則を築くために、
すさまじい力を揮って立ち上がるなら、大地は、おいたる大地は歓喜にふるえ、新しい世界が胎内で躍動するのを感じるだろう・・・」

■ラファルグからヴェルナーへ

こうした、怠惰=労働の禁止をもって社会革命を進めるというラファルグの主張は、現代のヴェルナーのベーシックインカム論の基底にある主張と通底するものがあると考えられる。僕は、むしろヴェルナーを読んで、20年以上前に読んだ、このラファルグの論に思い当たって、今回再読した次第だ。

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