1988年から1993年までの何度か、若松さんとご一緒する機会があった。
腫瘍には、レバノンの医師、フェイルーズさんたちが運営する診療所を支援する「Human-bridge-Association=人間の橋協会」の活動に関係して、であった。
フェイルーズさんは日本の鍼灸医療を学び、現地の医療に活かすことを試みていた。その彼女の受け入れを中心におこなったのが若松さんだった。
フェイルーズさんは、若松さんが監督した映画「キスより簡単」でウエイトレスとして出演している。彼女の妹も来日し、鍼灸医療を学んでいた。
その後も、パレスチナに関わる催しがある節目節目に、若松さんの姿を見た。
ピンク映画撮影の用心棒としてついて歩いていたのが、スタッフが逃亡してしまい、弾みでカメラを回すことになったという昔話とか、暴力シーン中心の異色なピンク映画という作品から、「キスより簡単」とか「パンツの穴」とかの軟派な青春映画への転身のきっかけを「パレスチナで愛を知って、変わったんだ」という話とか、酒の席でよく伺った。
近年また、精力的に作品を発表されていた。いつかまたお話しする機会もあるだろうと思っていた。タクシーに轢かれて入院した、という報道が、一昨日あったが、怪我をして入院、という話だったので、そんなに心配していなかった。
同じプロジェクトにかかわっていた、快医学ネットワークの瓜生良介さんと、相次ぐ訃報。とても残念だ。