こんにちは
先日、秦野市にある「源実朝公御首塚」を紹介しましたが、
更に関係が深い「金剛寺」について紹介します。
「源実朝公御首塚」から近いすぐそばのお寺です。
【金剛寺とは】
秦野市のHPを参考に記載しました。
金剛寺は、もともと小寺でしたが、鎌倉時代に武常晴(つねはる)が
3代将軍源実朝の御首(みしるし)を当寺に持参して埋葬したことに
始まるといわれています。
退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて木造の五輪等を建て
実朝の供養をしました。
その後、実朝の法号金剛寺殿にちなみ、金剛寺と改めました。
1250年(建長2年)に、波多野忠綱(ただつな)が実朝の
33回忌のため再興しました。
本堂には、源実朝像が安置されています。
所在地:秦野市東田原1116
↑ 一休さんとネズミが二匹
【屋根にはササリンドウが】
↑ 2023/02/14 ササリンドウの花 追加
金剛寺の屋根にはササリイドウ(笹竜胆)の家紋が見れます。
また、源実朝公御首塚の石灯篭にもササリイドウ(笹竜胆)
がついていました。
秦野市の他のお寺でも、柳川の個人のお墓でも見ました。
源にゆかりのある方々がおられるようです。
↑ ササリンドウ(笹竜胆)が源家ゆかりの紋と判ります
↑ 立派ですね。見ごたえがあります。
【松の様なそうでない不思議な植え木が】
↑ 松ではなくコウヤマキ(高野槙)の木です
↑ 変な松ぼっくりの様な実がついています。
コウヤマキ(高野槙)の実ですね。
松ボックリとも異なりますね
【源実朝公御首塚とは】
金剛寺から500メートル程離れた田原ふるさと公園横には
「源実朝公御首塚 (みなもとのさねともこうみしるしづか)」
があります。
首塚には、『金槐和歌集』に載せられた源実朝の歌、
「ものいわぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかなや
親の子をおもふ」が記された歌碑も立っています。
↑ 遺書灯籠にササリンドウの家紋が見えます
↑ 木の傍には読まれた和歌が添えてあります。
↑ 傍には梅の花が咲いていました
↑ 富士山が見える場所に祭られています
↑ 秦野市の中では水が豊富で田んぼが残っています。
秦野市の中では、唯一と言って良いくらい田んぼや自然が残っています
【参考記事】
森園 知生さんのHPより
源実朝公の気持ちが感じられるかも
凄く判りやすく書かれています。
連載小説『春を忘るな』公開済み全文 2020/12/17~掲載
https://kamaeno.com/wasuruna_all/
【タウンニュースで金剛寺の石像を紹介】
↑ タウンニュースより一部分を添付
秦野版掲載号:2020年1月1日号
法話伝える ねずみの石像 「昼夜を表し、生死を説く」
境内の中にはとても大きな一休さんの石像があります。
詳細は下記をクリックしてください
https://www.townnews.co.jp/0610/2020/01/01/511955.html
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