福島県人会です
NHK大河ドラマ 「八重の桜」
みなさまご覧になっているでしょうか?
Uさん
「大河ドラマ見てっかい?」
Mさん
「見れてないんです~(+o+)」
Uさん
「見ねーとダメだべした(-"-)」
Mさん
「すいません~(*_*)」
Uさん
「まぁ、さすけね、さすけね!(^_-)」
…見てない方はすでに分かりませんね(笑)
「さすけね」は“大丈夫”“気にしないで”という意味です。
福島の会津地方だけでなく、福島県でも広く、東北南部や北関東でも使われています
使い慣れると、あったかくて良い言葉です
福島を身近に感じる事のできる「八重の桜」
是非ご覧になってみては?
★八重の桜・福島NHKへのアクセスはこちら★
http://www.nhk.or.jp/fukushima/yaenosakura/index.html
今日は、八重の桜に因み「福島・会津」から、
おすすめローカルスポットをご紹介します!
~ 食! ~
ラーメン「喜一」
喜多方ラーメンは札幌の味噌、福岡の豚骨と並び、ラーメンの日本三大発祥地となっています。
あっさり鶏ガラベースの醤油に、多加水の中太ちぢれ麺!
雪の深い会津では、保存の効き、さっと作れるラーメンは麺は朝から食べれるご馳走です。
そんな「朝ラー」のおすすめが、この「喜一」です
スープは飲むほどに尻上がりに旨みが効いてきます☆
流行りの塩も良いですが・・・、やっぱりお勧めは定番の醤油です!
こってり全盛期のラーメンに飽きた方、是非朝から並んでみては?
~ 歴史!! ~
白虎隊は幕末期、会津藩の軍制で数え16~17才の会津藩士子弟で編成された組織。
慶応4年旧暦8月22日、藩主松平容保の近衛兵として滝沢本陣に出陣した白虎士中二番隊42名は戸ノ口原に迎え撃つも、西軍の猛攻に敗走し、20名が飯盛山にたどり着きました
ここで目にしたのは砲煙に包まれた城下でした。少年たちは城が陥落したものと思い「主君に殉じよう」と全員が自らの命を絶ったのでした。
飯盛山の中腹にある墓地にはここで切腹した十九士の墓が正面に、右手には戸ノ口原などで戦死した少年たちの墓が立ち並んでいます
~ 観光!!! ~
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は室町時代の初め、今から約630年前の至徳元年(1384)に葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まりとされています。お城といっても当時は天守閣はなく、館程度でした。
その後、伊達政宗をはさんで蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治め、七層の天守閣を築きました。黒壁で織田信長の居城、安土城のようだったともいわれています。
現在の天守閣は昭和40年(1965)に再建されたものです。内部は郷土博物館になっています。五層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。昨年には再建された天守閣の屋根を45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦を赤にしました。
会津地方へは、
電車:片道7600円
「川越」-在来線→「大宮」-新幹線→「郡山」-バス→「会津若松駅前」 約2時間40分
車:高速料金(ETC割引なし) 5450円 + ガソリン代
「川越」→「久喜IC」⇒「会津若松」→「会津若松市」 約4時間
福島きてくなんしょない!
これからも福島をよろしくお願いします!
福島懸人会
NHK大河ドラマ 「八重の桜」
みなさまご覧になっているでしょうか?
Uさん
「大河ドラマ見てっかい?」
Mさん
「見れてないんです~(+o+)」
Uさん
「見ねーとダメだべした(-"-)」
Mさん
「すいません~(*_*)」
Uさん
「まぁ、さすけね、さすけね!(^_-)」
…見てない方はすでに分かりませんね(笑)
「さすけね」は“大丈夫”“気にしないで”という意味です。
福島の会津地方だけでなく、福島県でも広く、東北南部や北関東でも使われています
使い慣れると、あったかくて良い言葉です
福島を身近に感じる事のできる「八重の桜」
是非ご覧になってみては?
★八重の桜・福島NHKへのアクセスはこちら★
http://www.nhk.or.jp/fukushima/yaenosakura/index.html
今日は、八重の桜に因み「福島・会津」から、
おすすめローカルスポットをご紹介します!
~ 食! ~
ラーメン「喜一」
喜多方ラーメンは札幌の味噌、福岡の豚骨と並び、ラーメンの日本三大発祥地となっています。
あっさり鶏ガラベースの醤油に、多加水の中太ちぢれ麺!
雪の深い会津では、保存の効き、さっと作れるラーメンは麺は朝から食べれるご馳走です。
そんな「朝ラー」のおすすめが、この「喜一」です
スープは飲むほどに尻上がりに旨みが効いてきます☆
流行りの塩も良いですが・・・、やっぱりお勧めは定番の醤油です!
こってり全盛期のラーメンに飽きた方、是非朝から並んでみては?
~ 歴史!! ~
白虎隊は幕末期、会津藩の軍制で数え16~17才の会津藩士子弟で編成された組織。
慶応4年旧暦8月22日、藩主松平容保の近衛兵として滝沢本陣に出陣した白虎士中二番隊42名は戸ノ口原に迎え撃つも、西軍の猛攻に敗走し、20名が飯盛山にたどり着きました
ここで目にしたのは砲煙に包まれた城下でした。少年たちは城が陥落したものと思い「主君に殉じよう」と全員が自らの命を絶ったのでした。
飯盛山の中腹にある墓地にはここで切腹した十九士の墓が正面に、右手には戸ノ口原などで戦死した少年たちの墓が立ち並んでいます
~ 観光!!! ~
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は室町時代の初め、今から約630年前の至徳元年(1384)に葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まりとされています。お城といっても当時は天守閣はなく、館程度でした。
その後、伊達政宗をはさんで蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治め、七層の天守閣を築きました。黒壁で織田信長の居城、安土城のようだったともいわれています。
現在の天守閣は昭和40年(1965)に再建されたものです。内部は郷土博物館になっています。五層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。昨年には再建された天守閣の屋根を45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦を赤にしました。
会津地方へは、
電車:片道7600円
「川越」-在来線→「大宮」-新幹線→「郡山」-バス→「会津若松駅前」 約2時間40分
車:高速料金(ETC割引なし) 5450円 + ガソリン代
「川越」→「久喜IC」⇒「会津若松」→「会津若松市」 約4時間
福島きてくなんしょない!
これからも福島をよろしくお願いします!
福島懸人会