天方本城は静岡県周智郡森町大鳥居にあります。南を流れる三倉川の対岸には白山城が築かれています。歴史上「天方城」は城ヶ平に有る「天方城」がそれとされていましたが、平成四年に「遠州天方城古城絵図」が発見され城址として確認され、天方城はこの天方本城であることが分かり歴史が一部見直されたようです。そのため従来の天方城を「天方新城」と呼び大鳥居の城を「天方本城」または「天方古城」と呼ぶようになりました。
※残念ながら僕は「遠州天方城古城絵図」を見たことがありません。
天方本城 城址は八幡宮の裏山にあたる
天方小学校、天方幼稚園の入口付近に案内板が設置されているが、駐車場が付近に無いようだった。路肩駐車したが、あくまで自己責任の世界です。
城址登り口までは八幡宮の左側の農道を徒歩で登リます。道は細く急ですれ違い不可なので車は四駆の軽トラ以外はチャレンジしないほうが良さそうでした。
急坂を登りきると茶畑が広がる 奥に城山と鉄塔が見える
茶畑は平坦だがここに屋敷があったかどうかの情報は見当たりませんでした。鉄塔は山下からも天方小の背後に見えていました。
農道を進むと可愛い城址案内看板?が有る
見落としそうな小さ看板が立っていました。これだけでもありがたいですね。
城道とか踏み跡はほぼ見当たらないので、頂上目指して登りました。
天方本城 主郭 たぶん
遠州天方城古城絵図が発見される前も山は「本城」と呼ばれていたようだが、明確な遺構が無いために城址と確定されていなかったようです。今見ても たぶん という範囲でした。
北西尾根の堀切と土橋
明確な遺構が見られない中で、この土橋と両側堀切の地形は人の手が加えれれた城址遺構ではないかと思いました。
土橋と堀切を横から見る
土橋と堀を横から見ると土橋部分は大きな岩のようでした。
東尾根の帯曲輪状地形
主郭から東に伸びる尾根道があり、城域とされます。尾根の北側を大きく削平した帯曲輪状の地形も見られました。尾根筋には南側にも削平地が有るので特定の方向に備えたものではないのかもしれないと思いました。
切岸と平坦地は城の鎌え?
主郭の南側の法面には切岸と平坦面が見られました。後世の農耕地でなければ城の鎌えと見ても良さそうでした。
今回のような縄張り図のない山城見学は、自分の城址見学の経験と知識の不足を痛感させられるものです。 自然地形を遺構と見たり、後世の改変を遺構と見たりする間違いに自分自身で気づかないので達成感は少し控えめになってしまいます。
※残念ながら僕は「遠州天方城古城絵図」を見たことがありません。
天方本城 城址は八幡宮の裏山にあたる
天方小学校、天方幼稚園の入口付近に案内板が設置されているが、駐車場が付近に無いようだった。路肩駐車したが、あくまで自己責任の世界です。
城址登り口までは八幡宮の左側の農道を徒歩で登リます。道は細く急ですれ違い不可なので車は四駆の軽トラ以外はチャレンジしないほうが良さそうでした。
急坂を登りきると茶畑が広がる 奥に城山と鉄塔が見える
茶畑は平坦だがここに屋敷があったかどうかの情報は見当たりませんでした。鉄塔は山下からも天方小の背後に見えていました。
農道を進むと可愛い城址案内看板?が有る
見落としそうな小さ看板が立っていました。これだけでもありがたいですね。
城道とか踏み跡はほぼ見当たらないので、頂上目指して登りました。
天方本城 主郭 たぶん
遠州天方城古城絵図が発見される前も山は「本城」と呼ばれていたようだが、明確な遺構が無いために城址と確定されていなかったようです。今見ても たぶん という範囲でした。
北西尾根の堀切と土橋
明確な遺構が見られない中で、この土橋と両側堀切の地形は人の手が加えれれた城址遺構ではないかと思いました。
土橋と堀切を横から見る
土橋と堀を横から見ると土橋部分は大きな岩のようでした。
東尾根の帯曲輪状地形
主郭から東に伸びる尾根道があり、城域とされます。尾根の北側を大きく削平した帯曲輪状の地形も見られました。尾根筋には南側にも削平地が有るので特定の方向に備えたものではないのかもしれないと思いました。
切岸と平坦地は城の鎌え?
主郭の南側の法面には切岸と平坦面が見られました。後世の農耕地でなければ城の鎌えと見ても良さそうでした。
今回のような縄張り図のない山城見学は、自分の城址見学の経験と知識の不足を痛感させられるものです。 自然地形を遺構と見たり、後世の改変を遺構と見たりする間違いに自分自身で気づかないので達成感は少し控えめになってしまいます。