日差館(久枝城)は長野県阿南町新野にあります。
城地は圃場整備で遺構は完全に失われ、国道151号が新道として通り、すっかり変わってししまったようで、大規模な「道の駅 信州新野千石平」も出来ていました。
今回も宮坂武男著「信濃の山城と館 6」を「資料」として参考にしながら見学しました。新野は長野県最南端にあり南の新野峠を越すと愛知県の最北部になります。
「資料」によると、諸説があるようですが伊勢の鈴鹿から関氏が来住し新野盆地の中央部へ館を構えたとされます。
現地では、日差館の痕跡を探してみましたが「資料」にあるように遺構を見ることはできませんでした。
帰宅してから、昭和22年、23年の米軍撮影の空中写真を国土地理院のウエブサイトで見ると、館の跡らしき地形が見えています。
昭和22年 米軍空中写真 円内が館跡の想定地
「資料」によると明治のころには、居館を中心に道路が東西南北に走っていたとされますが、想定地の候補になりそうな道路が戦後まで残っていた可能性がありそうに思えました。国道151号の新道はまだ影も形もありませんね。
昭和23年の米軍空中写真 1年違いとは思えない差がある 季節の違いかも
同じ場所の空中写真ですが、ずいぶん違って見えます。季節によって作物の状況が違っているためかもしれません。
この写真からは、土塁または堀で周囲を囲まれた、いかにも館跡といった地形が見えます。先ほどの東西南北を道路が走っていると思われますが、目立っていませんね。二つの写真を合わせてみると、館跡がここにあったと想定できるのではないかと思いますが、どうでしょう?
館跡の想定地を現在の地図に落とし込んでみました。
今は館跡想定地を国道151号が通り道の駅も出来て、周囲の状況が一変してしまいましたが、関氏の居館がここにあったと想定できそうに思います。周辺に家臣の屋敷地などがあったかもしれませんね。
日差館想定地 南から
東側に殿屋敷の地名が残るので、館の中心はもっと東側にあるイメージをなんとなく持っていましたが、空中写真から西側寄りに有ったと想定しました。写真手前の田地と奥の畑地には高低差が有りました。圃場整備で地形はかなり変わったようですが、土地の高低差は残ったのではないかと思いました。
土地の高低差 圃場整備で水路は引き直され、地形も変わったが高低差は残った
日差館の南側を市ノ瀬川が流れています。空中写真を子細に見ると往時は蛇行していて、館付近まで流路が迫っていた可能性があるように見えます。今ある段差は川と城地の高低差の名残ではないかと想像しましたが、想像を広げすぎかもしれません。
※日差館は領主の居館だったと思われますが、館地外の広がりは不明です。
幸法のモニュメント 道の駅信州新野千石平の駐車場に立つ
この地に伝わるお祭りに登場する、ひときわ目を引く大きな神様のモニュメントが道の駅信州新野千石平の駐車場に立つていました。日差館の遺構は見られませんでしたが、このモニュメントは見ごたえがありました。
遺構の残らない城館跡を地籍図から割り出す手法はしばしば使われ、後に誤りを指摘される例もありますので、今回の空中写真を用いた想定も一つの試案としてご覧ください。