伊木山城は岐阜県各務原市鵜沼字伊木山にあります。伊木城とも呼ばれます。
信長公記によれば、木曽川を越えて美濃に侵攻する重要な足がかりとして伊木山に陣を敷いたとされます。この時、活躍した香川長兵衛が信長からこの地と伊木の名を与えられたようです。後に伊木氏は池田輝政に付いて出世したと伝わります。
今回は「岐阜の山城ベスト50を歩く」と「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第2集」を資料としてでかけました。
伊木山城 「伊木の森」への道は工事中。HPなどで確認してでかけたい
城址のある伊木山は市民のハイキングの場として人気で、様々なハイク道がありますが、駐車場の利用の時間帯などの制限、工事による通行止めなどがあるため事前確認をおすすめします。西側山麓の熊野神社からのハイク道の利用もできそうです。
伊木山城 土留の石垣が所々に顔を出している
発掘調査が行われ、石垣が確認されたようですが、土留の石積と評価されているようです。伊木山城は東西90m、南北35mほどのコンパクトな山城で、発掘調査後に埋め戻されています。
山頂部は無線塔が立ち、東側の曲輪跡には戦時中の軍事施設が有ったそうですので、改変があり城郭遺構として明確なものは少なかったです。
伊木山城 西側山上の旧熊野権現跡 今は西側山下に社殿が造影されている
伊木山の最高所には伊木山城がありますが西側尾根には旧熊野権現をみることが出来ました。伊木山城の役割が木曽川右岸上流部の鵜沼城(宇留間城)、猿啄城の監視だったためか西側には城郭遺構は無いようです。
伊木山城 「小伊木の渡」は明治の頃まで木曽川渡河の重要な地点だったか
信長の美濃攻略は木曽川を安全に渡る地点の確保が第一歩だったのではないでしょうか。伊木山城の足元の小伊木の渡は往時から重要な渡河地点だった可能性があったように思います。
伊木山城 小伊木の渡はこのあたり。上流に鵜沼城、木曽川をはさんで犬山城
明治の地図(図2)には当時の小伊木の渡が描かれています。鵜沼城で抵抗していた大沢氏も小伊木の渡を奪われ、伊木山に陣を構えられて秀吉の調略に応じたのではないかと想像しましたがどうでしょう。
伊木山城 木曽川を6kmさかのぼった猿啄城も見える
伊木山城の東端部からは東側の展望が開けていますので、遠く猿啄城も見ることが出来ました。
伊木山城は目立った遺構はありませんでしたが、山上から歴史を考えながら見る眺望は素晴らしく、遺構見学とは違った興味深い見学ができました。