蓬生城は愛知県岡崎市蓬生町にあります。「岡崎市東部地域遺跡詳細分布調査報告書」岡崎市教育委員会2010では「小島屋敷」として取り上げられていますが当ブログでは通称の蓬生城としました。
室町幕府奉公衆の小島氏が備前から移り住んだと伝わります。その後、慶長五年から24年間、旗本小島氏が陣屋を構えたとされます。
今回は(1)「史跡散策 愛知の城」山田柾之著1993と(2)「岡崎市東部地域遺跡詳細分布調査報告書」岡崎市教育委員会2010を資料として見学にでかけました。
蓬生城 矢作川の支流男川に古部川が流れ込む地点で山間部に向かう街道が合流する地点に所在
蓬生城から見ると南西方向の、男川の流路が180度曲がった台地に北市場と南市場の地名が残り気にかかります。今は田地となっていますが男川の左岸に沿って東進してきた往時の街道がこの付近で渡河していた地点で、古い時代には市が立って賑わっていたのを想像してみました。
蓬生城 図2 「岡崎市東部地域遺跡詳細分布調査報告書」では円内が小島屋敷跡とされる
西側からの蓬生への現在の道アは岩盤を削って道が付けられています。往時はこの道はなくて南側の一段低い円跡寺あたりで渡河していた可能性がありそうでした。
(1)によればAには児島さんがお住まいで屋敷跡の伝承があるそうで、ここが小島屋敷です。周辺には家臣の屋敷地が有ったとされます。往時の建物はありませんが、今も平坦面を石垣で支えた屋敷地が3段ほど残り、住宅が建っていました。
蓬生城 南側を流れる古部川が要害となり高所にある小島屋敷は守られていた 蓬生町公民館から
小島屋敷は古部川から見ると12~13mの高所にあります。その間に3段ほどの家臣の屋敷地があるので、いわゆる城郭の形をしていないのに堅固な守りになっていると感じました。往時は西側に道アがなかったとすれば、なおさらですね。
蓬生城 道①を南下から。 奥上の突き当りが小島屋敷
小島屋敷の屋敷地は南下がりの斜面にありますので、石垣で平坦面を何段も築いていました。殆どの石垣は積み直しが行われているようでした。蓬生城の図のa、b、Cぐらいが古そうでしたが往時のものかは確認できませんでした。
蓬生城 図2aの古そうな石垣。児島さん宅の石垣の多くは積み直されている
住環境の整備などで石垣の積み直しも行われているようで、往時のものが残っている可能性は低そうでしたが、見た目で古そうなのがaでしたが、どうでしょう。
※見学に訪れたときに児島さんにお目にかかり、古い石垣はB、Cにあると教えていただきました。
蓬生城 東側の崖上に立つ家。往時は家臣の屋敷が立っていたかも
古い石垣があると教えていただいた場所の見学に向かいましたが、古部川に切れ落ちた崖上にある屋敷地の石垣のことでした。屋敷地が古部川と急崖に守られていたのがよくわかりました。
蓬生城 古部川越しに屋敷地の東面を見る 見どころです! 古部川越しに東から
川から上段の屋敷地までは12~13mの高低差があります。樹木と草でよく見えませんが、往時は絶壁の上に屋敷がそびえている風景だったのではないかと思いました。
蓬生城 石垣b 草と苔でハッキリ見えないのが残念!
写真のように草と苔で覆われていましたので、残念ながらハッキリとは見えませんでしたが、古そうな石垣のようでした。
蓬生城 最上部 東端の屋敷地東面の石垣 犬走様の道があり、崖が古部川に切れ落ちている
東面の石垣bも草と苔に覆われていましたのでハッキリと見ることができませんでした。1600年代に入って陣屋として使われていたということですので、その頃のものかもしれません。
駐車は蓬生町公民館の前に可能ですが、集落入口の男川と古部川の合流点付近に駐車して、往時の道の状況を考えながら屋敷跡に到着するのも興味深いと思います。
蓬生城は石垣だらけで、石垣巡りの様でしたが、これはこれでなかなか面白い見学となりました。機会があれば草のない季節に訪れて、石垣の確認をしてみたいとも思いました。