北金井城は三重県いなべ市員弁町北金井字亀谷にあります。北金井は「きたがない」と読み金井城ともいわれます。
北伊勢の大河、員弁川の河岸段丘が尾根状に削られた南東先端部の台地に所在し、北西部を規模の大きな堀で断ち切って厳重な防禦の構えをしています。いわゆる単郭・方形の四囲を土塁で囲んだ城郭で、虎口は北西辺の一ケ所のみとされます。
資料は (1)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008 と(2)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976です。
(2)によれば、築城は近江佐々木氏一族の種村高盛が天文年中(1532~1555)築いたとされます。後に織田信長の伊勢侵攻で信長配下となったが切腹を命じられ、一族は城を放棄して散り散りとなったと伝わります。
北金井城 南西側は員弁川に近く、北東側は大きな谷が要害となっている
南西側は城下を流れる員弁川で守られ、北東側も谷地形で自然の要害となっていました。員弁川と城までの間の土地は現在田地になっていますが、往時は河原または深田になっていて敵の侵入を防いでいたのではないかと推測しましたがどうでしょう。
南東に突き出した尾根状の台地の弱点は北西側ですが、こちらは幅の広い深い堀に守られ、折れを伴った土橋が虎口への侵入を妨げています。
北金井城 駐車場に「金井城址です 種村商会」 の看板がある
北金井城の土橋の入口付近には種村商会さん提供の城址見学用の駐車場がありました。種村さんと言えば、城を築いたとされる種村氏の末裔の方かもしれませんね。
北金井城 城郭遺構の部分は、ほぼ完存。切通道の往時の姿はどうだったのか?
西宮稲荷と城址の間には切通道があります。元は細い尾根でつながっていて、堀切で遮断していたと思われます。切通道は古くからあったようで、明治の地図にも載っていますので西宮稲荷の創建(明暦三年16579)に関係しての道かもしれませんが、堀切を利用した道だと思われます。主郭内の⑧は低い仕切り土塁です
B地区は戦後の空中写真を見ると耕作地になっていた時期があったかもしれませんが、今はブッシュに覆われ、立ち入りが難しい土地になっていました。小川Cは谷地形の中央部を流れて員弁川にそそいでいます。
北金井城 北西辺の虎口に入る土橋①は明確な折れが残る.土橋の両サイドは深くて広い堀 奥に虎口
土橋が崩れないように?コンクリートで見学路の舗装がしてありますが、よく見ると往時の土橋の遺構が残っていて、折れが確認出来ました。
土橋からの侵入に備えて主郭の両側の土塁上②、③から横矢が掛かる構造になっていて、虎口への侵入に備えられていました。
北金井城 主郭 土塁南西隅③から、土橋へ横矢が掛かる構造
虎口に侵入する敵に対して、明確に横矢が掛かる構造は見所です。写真では樹木が邪魔をしていますが、肉眼ではバッチリでした。
北金井城 主郭北西隅②からの横矢が掛かる構造 南から
②からも土橋が見えるはずですが、残念ながら樹木が覆っていて見ることが出来ませんでした。写真は虎口側の土塁上で②の横矢の張り出し状態を見たものです。
北金井城 Aから⑤への侵入に備えた横矢は両側からかかる
主郭南東端に土塁の出っ張り④があります。切通道から見ると、南東から主郭へ登るにはAから⑤へ登るしかありませんでした。このルートでの侵入に備えたのが④と、⑤北側の土塁の折れだと推測しました。この方面から登って来た敵は⑤付近で両側から横矢を受けて撃退されたことでしょう。
北金井城 切通道から主郭を見上げる 西宮稲荷との間は細尾根が堀切があった?
明治のころは、歩く道でしたが今は途中まで軽トラが入る道になり、幅も広くなっています。堀切があったとした場合の深さは見た目では分かりませんでしたが、周囲の状況から堀底は今の道路面に近かったのではないかと想像しました。
北金井城 主郭南西編の切欠き地形⑥は、何だったのか??
主郭南西辺の中央部付近には虎口状の土塁の開口部があります。資料(1)、(2)とも縄張図には描かれていますが、用途。目的については触れられていません。今回の見学では、何らかのヒントを得たいと思い付近を丁寧に観察してみました。
土塁の開口部の幅は目視で5m近くあり底辺は平らになっています。よくよく見ると溝状の凹みが見えました。
北金井城 土塁開口部外側の状況 樹木が育ち溝をふさいでいる
土塁の開口部の底辺が平らに見えている理由は、成長した樹木で溝がふさがれ土砂が堆積して平らに見えているのではないかと思えました。溝は主郭内部とほぼ同じ高さでしたので、主郭内の排水のための溝だったのではないかと考えてみました。排水を目的とする土塁の切欠きは時々見かけますが、これほど広い幅のものは見たことがありません。開口部の外側は、急な法面に水が流れた跡のような地形にも見えましたが、人が歩ける道の痕跡はありませんでしたので、いわゆる虎口ではなさそうでした。
残念ながら、開口部の用途、目的は明確になりませんでしたが、主郭内の排水を一つの候補としておきたいと思います。
横矢と土塁の開口部にこだわった記事になりましたが、北金井城は遺構がしっかり残る見ごたえのある城郭で、3回目の見学でしたが、新たな発見もあり大満足の見学となりました。