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伊勢・丹生川上城 保々西城に匹敵する大規模城郭寺院の詰城とされる山城

2021-10-13 | 歴史

丹生川上城は三重県いなべ市大安町丹生川上字正法寺にあります。城址の東側山下にはかつて大寺院・正法寺があり、城郭寺院だった可能性があり山上の丹生川上城はその詰城だったとされます。正法寺は寺院として創建されましたが後に武装し、城郭寺院として戦いに備えたとされます。306号線の工事に伴って発掘調査が行われ、保々西城に匹敵するような多数の方形城館跡だけでなく多数の遺物が出土しました。
 今回の参考資料は(1)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008  (2)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976  (3)「丹生川上城跡発掘調査報告」三重県教育委員会1985
 ※(2)、(3)はweb検索でダウンロードできます。


丹生川上城 大寺院・正法寺の遺構は306号線で一部消滅、東側に方形地形が残る
 丹生の地名は全国各地にありますが 丹、辰砂など水銀に関連があるようで、ここ丹生川の地名もそうであったと思われますが、丹生川という川は付近にありませんでした。現在 青川と名付けられている川が往古には丹生川だったかもしれないと勝手な想像をしてみました。
 参考資料(2)では丹生川上城の伝承は有れども所在が不明となっていましたが (3)では正法寺を城郭寺院とし正法寺跡を丹生川上城と呼び山上の遺構は丹生川上城の詰城としていました。(1)では山上の遺構が丹生川上城として縄張図が描かれていました。今回の見学では(1)によって山上の城郭遺構だけを見学しましたので306号線の東側に残存するといわれる方形遺構は見学していません。資料(2)はそれ以前の発刊ですので丹生川上城の伝承のみで所在は不明だったようですね。     ※図1の東城はこちら


丹生川上城 今回の見学は山上の詰城部分でAのルートを登る。Bに往時の城道?未確認
 見学は306号の余白に駐車しAのルートを登りましたが明確な道は有りませんでした。途中⑦の炭焼窯跡、⑥の平場などが有りました。ルートBは山下の正法寺跡から山上の詰城に登る往時の城道を想定してみました。


丹生川上城 301号線からの登り口  余白に駐車
 301号線は近年の敷設です。道路工事によって正法寺跡は一部が消滅してしまいました。道路工事に先立って発掘調査が行われて(3)の「丹生川上城跡発掘調査報告」三重県教育委員会1985 が発刊されました。見学路は山仕事の道の入口と思われます。  ※駐車は自己責任です!



丹生川上城 途中の平場⑥ 城道はここを通っていたかも
 306号線の工事で城道は分断されましたので、資料(1)でも城道は不明確とされていました。想定城道ルートBはこの辺りを通っていたのではないかと想像しながら登りました。


丹生川上城 Ⅱ郭 南から
 南斜面を登るⅡ郭に出ました。Ⅱ郭の平場は丁寧に削平されⅠ郭の切岸がしっかり削り出されていました。また、Ⅱ郭南辺の切岸下部には犬走りが設けられて、二郭が重要な曲輪だったのではないかと思いました。 


丹生川上城 Ⅱ郭南辺の犬走 北から
 丁寧に削平されたⅡ郭の南辺の切岸には明確な犬走が残っていました。残存状態が不明確な犬走を多く見かけますが、この犬走りは良好に残っていました。


丹生川上城 Ⅱ郭とⅢ郭間の通路③  南から
 Ⅱ郭からⅢ郭へは堀底道状の通路③で連絡していました。写真右手には土塁状の掘り残しがあり通路③は堀切地形ですが、土塁は防御施設ではなさそうでした。


丹生川上城 南から西にかけてⅠ郭を巻くように延びるⅢ郭 東から
 Ⅲ郭はⅠ郭下の南から西にかけて削平された平場で、帯曲輪と言っても良いのではないかと思いました。 削平も丁寧でした。


丹生川上城 Ⅰ郭北側の浅い堀切と竪堀② 西から
 丹生川上城は南側の防御態勢は厳重ですが、北側はごく浅い堀切と西側に落ちる浅い竪堀で堅固とは言えないようでした。


丹生川上城 Ⅰ郭  東辺の 虎口⑤? 北から
 Ⅰ郭は南辺と西辺に土塁がありますが東辺には土塁が見当りませんでした。写真はⅡ郭からⅠ郭への虎口⑤と思われる地形ですがあまり明確ではありませんでした。奥に南辺の土塁が見えています。


丹生川上城 Ⅰ郭の土塁① 土塁上の北から
 Ⅰ郭の土塁はL字型でⅠ郭の西辺から南辺にかけて設けられていてよく残っていました。

資料(3)の「丹生川上城跡発掘調査報告」がWebsiteでダウンロード出来るのに気付いたのは、見学の後だったので301号線の東側は見学することが出来ず残念でしが山上の詰城は遺構の残りもよく楽しく見学でき良かったです。機会があれば残存する方形居館跡も見学してみたいと思います。