下山北城は滋賀県甲賀市水口町下山にあります。谷を挟んだ西には津山城があり、恩川の南側対岸には伴氏の下山城、伴屋敷城があり、集落ごとに小領主の城館がある甲賀の典型的な地域で下山北城は伴氏の支城といわれます。
城は地形を利用して築かれたためか北に向けて土塁や堀切が高所にあり、南端部は集落との高低差がほとんどない構造でした。今回の資料は 「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010です。
※下山城・伴屋敷城は→こちら
下山北城 野洲川・泉川と思川に挟まれた段丘は工業団地の造成で削り取られている
下山北城は甲賀群中惣の雄族伴氏の支城とされ、伴氏は一帯を広く統治していたとされます。下山北城のある恩川の北側は造成工事も少なく改変が少ない地域のようです。
下山北城 単郭の典型的な甲賀の城郭
Ⅰ郭の四周には土塁が築かれており、虎口A、Bのみが開口していましたが。その外周の東辺に設けられた横堀と土塁は崩落で一部が失われたように見え、北辺は地形の制約で堀が一部分掘られていなかったようにみえました。虎口Aの南側には平場があり、その南側は切岸が守りの要となっていて、南に張り出しのある土塁aからは横矢が掛けられるようになっていました。西辺の虎口Bの外側は無防備のようですが、往時は西の谷あいが沼地か深田で侵入が困難だったのかもしれないと想像してみましたがどうでしょう。
下山北城 虎口B 西から 土塁の開口部が明確で見どころです
見学は虎口BからⅠ郭へ入りました。道からの入口は雑草が生い茂って 明確ではありませんのでエィヤッ!と適当なところで進入しました。
下山北城 虎口A 南から 左右の土塁が食い違っている 厳重な守りで大手口と思われる 見どころです
南辺土塁の開口部の虎口Aは図2のように両側の土塁が食い違っていて、さらに左右の土塁の内側中段には平場が設けられており虎口Aからの侵入に備えている構造でした。横矢の掛る土塁aの備えなど、この城が南に向けて厳重な防御態勢だったことがわかりました。
下山北城 Ⅰ郭内部から虎口A、Bを見る 見どころですが竹林が残念
Ⅰ郭の内部の平面には排水路が設けられている以外に目立った遺構はありませんでしたが、虎口A、Bが一目で見えるのが見どころでした。
下山北城 Ⅰ郭内部 排水溝が設けられている 見通しがきかないほどの竹林
Ⅰ郭内部には溝があり排水溝のようでした。竹が繁茂して見通しが悪く、進むのにも難渋しました。
下山北城 土塁a 南面 西から 奥に張出が見える
虎口Aの南側の平場の切岸を登る敵に対して、横矢をかけられるように土塁aのは南に張出が設けられていました。平場の南辺に土塁などの構造があったのかもしれませんが現況からは想像するのが難しかったです。
下山北城 Ⅰ郭東辺土塁と中段の平場③ 北から 奥に南辺土塁 ここも見どころ
写真は図2の虎口Aの東側の土塁内部の中段に設けられた③を東辺の土塁上から見下ろしています。南側から虎口Aに迫る敵を攻撃するための身隠しの遺構のように見えました。この手の遺構がここまで明確に残っているのは珍しく、見どころでした。虎口Aの反対側にも同様の平場が設けられていましたので、左右から虎口を守っていたと想像しました。
下山北城 Ⅰ郭土塁最高所の北東隅① 南から 最高所からのⅠ郭の眺めは圧巻!
下山北城のⅠ郭は地形に沿って構築されているので、土塁も北東隅に向って高くなっていました。土塁の北東隅が最高所で西に向けても北辺土塁も下っていました。Ⅰ郭も地形の制約を受け平坦部は意外に狭い面積になっていました。土塁の最高所からⅠ郭を見下ろすと高低差があるので圧巻の眺めでした。
下山北城 東側の地形 左手にⅠ郭切岸 右手の地形は土塁の崩落か? 南から
Ⅰ郭東側には横堀と土塁が設けられていたのではないかと想像しました。現況は武者走り風の細い平場となっていますが往時は、南北の土塁は続いてい土塁と横堀があったのが、図2のように崩落して今の姿になったのではないかと想像てみましたが、どうでしょう。・・・明確な根拠はありません。
下山北城 北辺の横堀② 西から 右にⅠ郭 左に北辺外側の土塁
北辺土塁も地形の制約を受けて、西側下部では深い堀ですが東に登ると徐々に浅くなり、ついには土塁が消えてしまいました。南側の守りの厳重さに比べて北側はそれほど危険視していなかったようにみえました。
下山北城は集落に隣接し、比高がほとんどなかったのですが、山城の雰囲気がしっかり楽しめ遺構の残りがよく見どころも多くて良かったです。