城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

尾張・小牧山城 発掘調査 現地公開 信長の石垣の城郭の威容がますます明らかに

2021-11-14 | 歴史

小牧山城は愛知県小牧市にあります。永禄六年(1563)に織田信長が築いた城としてあまりにも有名ですが、後の小牧長久手の戦いでは徳川家康が改修し陣したとも伝わります。2004年の一次試掘以来発掘調査が継続され、信長の築いた小牧山城に石垣が発見され、今年は第14次の発掘調査が行われ、またまた新たな発見がありました。
 今回は、新型コロナの感染対策ということで、集合しての現地説明会は行われず11月3日~5日に発掘現場が公開され、説明会資料が見学者に現場で配布されました。 
 ※現地公開資料は 小牧市HP すでにアップされていますのでダウンロードできます。
  史跡小牧山主郭地区発掘調査現地説明会資料 で検索して御覧ください。


小牧山城発掘調査  今回の発掘調査区
 これまでの発掘調査で主郭部分の四周には石垣が何段も築かれているのが検出され、大手道に該当する登城路の主郭に近い上部が発見されていました。今回はこれまで発掘調査が行われた調査区の南側下部で発掘調査が行われていました。


小牧山城発掘調査 今回の調査で大手道と側面の石垣等が更に下方まで確認できた
 これまで表土に隠れて見えていなかった岩盤を削って作られた永禄期の路面が検出され、大手道の側面の岩盤を削った壁や二段の石垣も検出されました。大手道は途中に入隅が設けられていて、道には段差があったのがわかりました。


小牧山城発掘調査    永禄期の面(大手道)から岩盤の削平面、二段の石垣を見上げる  南から
 大手道は地山の岩盤(チャート)を削り出して10m幅の水平面を造っていました。大手道の北側の側面の下部は地山のチャートを70度ほどに切り出して、その上に裏込石の有る石垣を二段設け5mを超す壁となっていました。二段の石垣は一部崩落による欠損があり裏込石が崩落した部分がありました。


小牧山城発掘調査 概略現地断面     西から見た図
 永禄期の面(大手道)は幅10mもある。Aは勝手な想像の施設です。手前の広い大手道は人が溜まるような場所だったかも。


小牧山城発掘調査 石垣は二段積まれている 裏込石がみられる
 上段石垣はこれまでも石が少し顔を出していました。今回の発掘でその姿のかなりの部分をみることができました。上段の石垣の上部には大手道があります。
 下段の石垣は今回の発掘で確認できた部分で、その下のチャートを削り出した壁面に連続するものでした。
石垣には裏込石がみられますので、本格的な石垣で、単なる土留めではないようですね。


小牧山城発掘調査  大手道の入隅  今回の見どころでした
 10m程の広い大手道の北東部に入隅が検出され大手道に段差が設けられていていました。大手道がこの部分で狭められていたようにみえました。段差の意味は、まだ解明されていないようでしたが、図4のような何らかの施設があり、10m幅の大手道は人が溜まる場所だったのではないかと勝手に想像してみました。
 図4のように、大手道の
段差は入隅から南に向けて徐々少なくなっていました。


小牧山城発掘調査 今回の調査区下段Bにも石垣がある
 一部の試掘で今回の調査区の南下にも石垣があるようなので、今後も発掘調査が継続されるようでした。また新たな発見が楽しみですね。

これまでの発掘調査結果で、築城当時の小牧山城を南下から見ると主郭部分が総石垣の城に見えたことだろうと思いましたが、今回の発掘現場を見てさらに下部まで石垣と岩盤の威容を誇る破格の城郭だったと改めて感じました。

現地には、小牧山城の発掘調査に長年携わってきた小牧市役所の小野友記子さんが居られ、いくつかの質問に丁寧にお答えいただき、意義ある現地見学となり良かったです。