大森城は岐阜県可児市大森にあります。今回は東海古城研究会の月例見学会で訪れました。月例見学会は通常大型バスで、昼食を挟んで一日かけていくつかの城址を見学しますがコロナ禍が納まりかけている中ですので、より安心・安全な見学会ということで午後からの現地集合・現地解散として行われました。交通の便があまり良くない場所でしたが、40人近い熱心な会員の方が参加されました。
大森城は永禄年間に久々利城主土岐三河守の家臣・奥村元信の子 奥村又八郎が築城したとされます。
その後天正十年に美濃金山城主 森 長可 に攻められ落城したと伝わります。一説には小牧長久手の戦いの時に改修され、今見る姿はその時のものともいわれます。
今回の参考資料は(1)現地案内板 (2)「岐阜の山城ベスト50を歩く」三宅唯美・中井 均著2010 (3)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集」 岐阜県教育委員会2004 です。
※大森城は興味深い遺構が多いので何度も訪れていますので 以前にもブログを書いています。
興味がお有りの方は、以前の大森城のブログは→こちら
大森城 大森川に突き出した尾根の先端部に占地されている。対岸に吹ケ洞砦がある
見学会はJR太多線 下切駅集合でした。車で大森城に隣接する大森神社駐車場に来られた参加者もいました。
大森城 大森神社の裏山に大森城はある ここで見学会のガイダンス
大森神社は大森城の主郭の鬼門にあたり、鬼門除けとして城主に崇拝されていたといわれているようです。
大森神社前で見学会のガイダンスがあり、大森神社を経由して見学に出発しました。
大森神社の境内に案内板があり、大森城の縄張り図も掲載されていました。図2の点線囲みのB地区は改変があり往時の地形がかなり失われていましたが、それ以外は興味深い遺構がよく残っていて、見学会担当の役員さんの解説を聞きながら見学しました。
大森城 堀切③へ登る折れを伴う城道 東から Ⅰ郭(主郭)とⅢ郭の虎口に至る 見どころです!
大森城は大きく見ると5つの曲輪が南北に連なっていました。その周囲を横堀と土塁が取り巻いていて、曲輪の切岸は急角度で高低差が大きく、横堀と土塁で更に堅い守りの構造になっていました。写真はⅠ郭とⅢ郭の間の堀切へ折れながら登る城道です。堀切の右手に主郭、左手にⅢ郭があり堀切からは各々の曲輪への虎口が設けられていました。
大森城 堀切③とⅠ郭、Ⅲ郭の虎口 東のⅠ郭側から見る
堀切③からⅠ郭、Ⅲ郭に入るための虎口が向き合って設けられていました。Ⅰ郭の虎口は折れを伴っていましたがⅢ郭の虎口は直線的でした。
大森城 Ⅰ郭(主郭) 南から 北辺と東辺に土塁が残る 土坑(井戸跡?)も残る
Ⅰ郭は樹木もほとんど無く、丁寧に削平されていました。ヒョットすると後世の山畑があったのかもしれないと思いましたがどうでしょう。曲輪の北西部には土坑が有りましたが水は見えませんでした。。往時は水が有る井戸だったのでしょうか? 発掘調査をすると柱穴が出てきそうな気がしますね。
大森城 Ⅰ郭の北虎口 東下から
Ⅰ郭の北虎口はⅡ郭から折れのある城道で登ります。道の途中には土塁や平場の遺構が見られ、簡単にはⅠ郭に侵入できない備えになっていたようでした。
大森城 Ⅱ郭南東から 奥に北辺の土塁が見える Ⅳ角からの連絡路が?
Ⅱ郭は東を除く三方向に土塁を巡らせた曲輪でした。写真右手下にⅣ郭がありましたが、Ⅳ郭からⅡ郭への城道が見当たりませんでした。不明瞭な見学路の踏跡がありますが、本格的な曲輪なので虎口がどこかに設けられていたのか? 資料(2)、(3)でも明確ではないとされていました。
大森城 Ⅰ郭 東側の切岸と横堀④と外周の土塁 見どころです
大森城の見どころの一つは曲輪を囲む急角度で高さが有る見事な切岸(人物との比較で高さがわかる)でした。横堀と外周の土塁も往時の姿がほぼそのまま残っているのではないかと思えました。
大森城 Ⅰ郭西側の横堀と土塁⑤ 南から
曲輪を取り巻く横堀と土塁は西側にも残されていました。⑤の部分は人があまり立ち入らないためかブッシュが有り、あまり見通しが効きませんでしたが曲輪東側と同等の横堀と土塁が残っていました。
大森城 堀切⑦ 横堀の続きかも 東から
Ⅲ郭と①郭の間のに堀地形が有りました。南端の①郭は虎口が明瞭にはなく、Ⅲ郭との連携がないので資料(3)では南側の大きな障壁と考えられているようでした。いわゆる「捨て曲輪」でしょうか。資料(2)では曲輪として取り上げられていませんでした。だとすると⑦は堀切というよりも外周の横堀で①は大きな土塁ということかもしれませんね。
大森城 Ⅲ郭 西辺土塁 奥に一段高い南辺土塁
Ⅲ郭には南辺に高い土塁が設けられていました。西辺には北に向けて下る土塁が設けられていました。①が大きな土塁だとし、⑦が横堀ならばⅢ郭の高い土塁も曲輪群の南の守りとしての役割が考えられそうですね。
大森城 残存土塁と平場a 西から
大森城の北東部は改変されて往時の姿がわからなくなっていました。かろうじて曲線土塁と平場が残されていました。
大森城 B地区の虎口 想像図 地形bは消滅
大森城の北東部(B地区)は改変されていて、往時の姿を見ることが出来ない部分がありました。残存しているのはaの曲線土塁と土塁内部の一部の平場だけのようでした。大森城の虎口は大森神社側ではなくて北端部にあったようですので、A地区の遺構を参考にして残存する土塁aから虎口を想像してみました。
図2のA地区の東側から③へ至る遺構形状となんとなく似ているよう気がするのは考えすぎでしょうか?
見学会は担当役員さんの解説、参加者同士でのワイワイ会話、城郭や歴史に詳しいベテラン会員さんの話など、独行での見学とは違った見方や考え方、新知識に触れることが出来て城郭見学が大いに楽しめますので極力参加するようにしていますが、今回の見学会も期待に違わず楽しく意義深い見学ができてよかったです。