2018年3月から当ブログを始めて500回の投稿を重ねてきました。見返してみると、当初のブログでは、不十分な扱いだった城や砦などが見受けられましたので、一部について改訂版を投稿してゆきたいと思います。今回はその第一弾です。
五郎小屋砦は岐阜県恵那市武並町藤にあります。険しい岩尾根の岩盤を削って曲輪を設け、堀切を削り出した遺構が残り見どころになっていますが城主・城歴は不詳のようです。今回の参考資料は (1)「信濃をめぐる境目の山城と美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015 と (2)岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集2004などです。※刈安城は→こちら
五郎小屋砦 砦は北側山下との関連が想定される
五郎小屋砦の南側約300mの権現山山頂には刈安城があり、中山道を抑える占地となっていますが、五郎小屋砦とは直接的な関連がなかったようで、砦は北側山下の相原地区や藤地区に関連した砦だったようです。
五郎小屋砦 相原地区から権現山と砦を見る
砦は尾根の途中にあり東側と北側の眺望に優れています。※円内が五郎小屋砦
五郎小屋砦 B平場と砦の関連は資料によって解釈が異なる
Aには五郎小屋砦の城郭遺構がありますが、Bは自然地形のように見え、資料(2)では記述がありませんが、資料(1)では「逃げ込み城」の可能性が示されていました。明確な道は見付けられませんでしたので、登りのルートはa 下りのルートはbをエィヤッ!と進みました。
五郎小屋砦 B平場 自然地形の尾根
資料(1)では、付近の住民が戦火を逃れて非難する「逃げ込み城」の可能性が示されていました。それなりの広さと見晴らしがあり、戦を見物する場所としても最適のようですが、さてどうでしょう。
五郎小屋砦 B平場の東端部から東側の眺望 25Km先の恵那山もよく見える
五郎小屋砦は岩尾根に設けられていました。B平場は尾根先端部にあり、むき出しの岩盤は天然の展望台のようで眺望は素晴らしく恵那市の街並みや恵那山が一望出来ました。
五郎小屋砦 砦は尾根を削り出して築かれている
往時の登城ルートは明確ではありませんが、山下からB平場を通って砦に登るルートだった可能性がありそうでした。小平場⑤の脇を通り⑥の虎口経由でⅠ郭(主郭)に至るルートが想定できそうですね。
五郎小屋砦 虎口⑥ 東上のⅠ郭から見下ろす
五郎小屋砦は岩尾根に築かれていて、岩盤の上にうっすら土が乗った地面で、岩盤がむき出しになっている場所も多かったです。虎口⑥は北側に張り出した岩場を巧みに利用して虎口状の通路が設けられていました。
五郎小屋砦 Ⅰ郭南東部の大岩 ウ 東から
砦は岩尾根上に築かれていますが、尾根の両サイドは人の手を加えなくても侵入不可能な岩壁が続いていました。
五郎小屋砦 Ⅰ郭南東辺の犬走? 東から
普通の山城では犬走の遺構といえそうですが、五郎小屋砦では岩盤の上に薄く土が乗った状態で、人工の地形ではなさそうですがどうでしょう。写真左手は岩壁が切れ落ちていました。
五郎小屋砦 平場③ 奥上にⅠ郭 北東から
平場③は岩尾根を削り出して造り出すされた平場に見えました。岩盤を削るのには大変な労力を必要としたのではないでしょうか。平場③によってⅠ郭へは北側から虎口⑥へ回り込む道となっていました。
五郎小屋砦 堀切① 右上に平場② 南東から 見どころです!
五郎小屋砦には興味深い見どころが多くありますが、その中でもこの堀切①がナンバーワンでした。堀切の上幅は約9mあり刈安城方面から下ってきた尾根を断ち切っていました。堀切は箱堀状ですが、薬研堀に掘り下げたかったが、あまりに労力がかかるのであきらめたのではないかと想像しましたがどうでしょう。
資料(2)ではこの堀切と刈安城との距離から判断して刈安城との関連を否定的に見ていました。
五郎小屋砦 南西の尾根 自然地形の平尾根が続く
堀切①が砦の南端部とされ、刈安城方面に続く南西尾根は岩盤に薄く土が乗った平らな自然地形でした。
五郎小屋砦 付近は岩盤だらけ 見どころです
五郎小屋砦は岩盤の印象が強烈でした。岩尾根の両サイドには写真のような岩壁が連なって、城郭遺構と合わせて見どころとなっていました。図2のルートaにあった大岩アもこの辺りから剥がれ落ちて転落したのかもしれないと思わせるものでした。
五郎小屋砦は来歴不明ながら、岩を楽しむ城郭でした。見学ルートが不明で厳しい登りでしたが登った先には大変な労力で岩盤を削った城郭遺構があり、眺望とともに楽しめて良かったです。