野井城は白金城城とも呼ばれ、岐阜県恵那市三郷町野井にあります。岩村藩の参勤交代で藩主が通った道という殿様街道・大名街道は幾本もあるようですが、野井城の東下の谷を通る道も殿様街道とされます。野井城はその立地から、岩村城への道の抑えとしての役割があったようです。今回の参考資料は「信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河遠江編」宮坂武男 2015 などです。
野井城 殿様街道は東海自然歩道の一部となり、人気のハイキングコースとなっている
土岐川筋の抑えとして取手平砦が設けられ、野井城と併せて北側の中山道方面を警戒していたと考えられるようです。※鳥居平砦は→こちら
野井城 野井地区からの道 車は通行止めとなっている
道は車両通行止めになっていますので、小ヶ沢池までの約1㎞はハイキング気分で歩きました。殿様街道からの明確な登城路はなさそうでしたので、小ヶ沢池の手前から城址のある尾根を目指して登りました。
野井城 殿様街道を見下ろす尾根上に築かれたコンパクトな山城遺構が残る
尾根を削平して三つの郭を造成し、周囲に犬走を設けたシンプルな城郭でした。曲輪を取り巻く犬走は、部分的に不明瞭でしたが、良く残っていました。今は樹木が茂って、見下ろしても街道は見えませんでしたが、往時は良く見えたことでしょうね。
野井城 城趾の南側尾根からⅡ郭を通してⅠ郭を見る 南から
戦いに備えた城というよりも街道を見張る役割が主だったようで、切岸は低く緩やかで輪郭がややあいまいで、土塁や堀切等の遺構は見当たりませんでした。Ⅱ郭からⅠ郭への虎口aが設けられていましたが、風化もあって、なだらかな通路状でした。
野井城 Ⅱ郭東辺の犬走 南から
野井城のⅠ、Ⅱ、Ⅲの周囲には、部分的に不明瞭なところもありましたが、犬走状の地形が取巻いていたようでした。
野井城 Ⅱ郭西辺の犬走状地形 奥にⅠ郭
Ⅱ郭の西側にも犬走状に一段下がった地形がありました。各郭の削平面の周囲には木柵が設けられ、一段下がって犬走が設けられていたのではないかと想像してみましたがどうでしょう。
野井城 Ⅰ郭 北から 城趾標柱と案内板が立つ
Ⅰ郭には城址標柱と案内板が立っていましたが、削平は”甘い”状態でした。案内板は地元の三郷町まちづくり委員会が建てたもので城名は「白金城」となっていました。地元では白金城と呼びならわしているのでしょうね。
野井城 平場①からⅢ郭への虎口b 北から ここにも犬走
平場①からⅢ郭へは虎口bを登るようになっていました。虎口aもそうでしたが、曲輪を取り巻く柵があったのかもしれませんが、虎口周辺に守りの備えは見当たりませんので、単なる通路のようでした。写真のようにⅢ郭の東辺にも犬走地形がみられました。
野井城 城域北端部の平場① 右上にⅢ郭
Ⅲ郭の切岸は風化もあってかなり曖昧になっていました。資料によると、往時の城道はこちら側からだった可能性が記されていました。
野井城は、街道の監視が主な役割だったようで、コンパクトでしたが曲輪を取り巻く犬走地形の存在が目立ち、曲輪を守る木柵などを想像しながら楽しく見学出来て良かったです。