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三河・丸根城 丸馬出状曲輪、空堀、土塁など遺構の残りが良く見どころの多い平山城

2020-03-25 | 歴史

丸根城は愛知県豊田市野見町にあります。
 矢作川中流域の、段丘が矢作川で深く掘り込まれた難所「鵜の首」と呼ばれる場所の左岸の段丘端部に位置しています。城の歴史、城主は松平一門の丸根美作守家勝とする説があるようですが諸説があり断定はできないようです。
 今回は「豊田市埋蔵文化財発掘調査報告書 第32集 丸根遺跡・丸根城跡 豊田市教育委員会発行、豊田市郷土資料館編2008」 を資料として出かけました。
 ※資料の丸根城の縄張についての20ページにわたる解説と考察は高田 徹さんの執筆です。


丸根城 矢作川が急激に曲り、深く切れ込んだ河岸段丘の先端部の地形を生かして築城されている
 鵜の首の地名からもわかる様に、昔から矢作川の舟運の難所とされていた場所で、家康・信長の時代には対岸は尾張領となっていました。図1の鵜の首橋は最近架けられた橋で、舟運が盛んだった時代には鵜首土場に船着場が有ったと伝わります。
 資料によると、⑦付近では縄文時代や中世の遺跡が発掘されたとのことですが丸根城との関連は不詳のようです。    ※駐車は見学用の広い駐車場がⓅに有ります。

                     
丸根城 図2 主郭虎口に立つ案内板の縄張図 資料での虎口位置はもっと主郭寄りになっている
 主郭と北曲輪以外に図1の②、④、⑤にも曲輪があったようですが②と④は近代の明治用水建設時に採石したため城郭遺構は改変され岩肌が露出していました。


丸根城 丸馬出状の北曲輪と三日月堀(空堀A) 一番の見どころ
 形状からすると丸馬出ですが、遺構から見ると攻撃に出撃する機能は弱そうなので、北方の台地を断ち切る堀が地形の関係でたまたま半円形になったのではないかと見えますが、どうでしょう。


丸根城 主郭と北曲輪間の堀切① 左に主郭、右に北曲輪  図1参照
 丸根城は「丸根城址公園」として整備されているので主な遺構はとても見やすくなっていました。写真奥に見学路の階段があり、その付近に虎口がありました。堀は深いところで5m程あり、上幅は13m前後になっています。北曲輪の半円形の空堀Aと堀切①で東からの敵の侵入に厳重に備えているようです。


丸根城 主郭南辺下②の遺構は採石によって不明瞭になっている  図1参照
 主郭南辺下にも曲輪、虎口、堀などが有ったようなのでが明治用水工事の採石で改変されて、部分的には遺構が残っていましたが、原形はよく分からない状態でした。資料でもいくつかの想定が考察されていますが、断定的な見解は示されていませんでした。


丸根城 主郭西辺下③ 採石により主郭が削られた? 岩肌が露出  図1参照
 この場所も明治用水工事の採石によって改変を受けているようです。資料の解説によると主郭は西側に広がっていたと考えられるが、工事で削られて現在の状態になった可能性が高いとされています。
 ③の下部には平坦面④があり、城郭遺構の可能性があるようです。矢作川沿いの県道は、順次拡幅されてきたようですので、往時は平坦面がもっと広かったかもしれませんね。


丸根城 主郭北西下の小曲輪群⑤は発掘調査が行われて2段の平坦面を検出 図1参照
 原状は目立った地形が見られませんが、最近の県道拡幅時の発掘調査で2段の平坦面が見つかったようです。位置的に矢作川の舟運を規制する重要なポイントだったかもしれないと鵜首土場との関連を想像してみました・・・が、発掘調査結果報告では触れられていないのであくまで想像です。


丸根城 主郭北辺下の空堀B 県道側からの見学路から登るとここに出る。右手上に主郭  図1参照
 主郭虎口から伸びる空堀Bは途中から谷地形に接続して矢作川沿いの県道へ下ります。往時は鵜首土場へここから降りたのかもしれないと思いました。写真の石段は公園整備のものと思われます。


丸根城 主郭虎口 公園化で虎口付近は改変され原形が分かりにくくなった
 高田 徹さんの研究によると、主郭の虎口付近は公園化でかなりの改変を受けているようです。空堀AとBの間を通る部分が虎口のように見えますが、高田さんの見解では写真の主郭入り口部分が虎口とされます。
 主郭の土塁北端と空堀Bに挟まれた部分がその位置になるようです。
 ※案内板の縄張図 図2と虎口の位置が違う


丸根城 主郭 西から 奥と右手に土塁が見える 奥の土塁の左端に虎口
 丸根城は北曲輪の形状が目立つので主郭は注目されませんが、主郭内に館を囲む土塁が回っていたらしいのです。発掘調査がされていませんので、表面観察による残存遺構から想定される土塁のラインを石列で表示してありました。

主郭部は発掘調査がされていないので高田 徹さんの見解でも想定が多いのですが、いつの日か発掘調査が行われるとさらに興味深い結果を見ることができると思いながらの見学でした。