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真田城(真田山城) 遠江 見学路が水害で失われたが、興味深い遺構がてんこ盛りの山城

2022-12-17 | 歴史

真田城は静岡県周智郡森町一宮にあります。城址名は真田山城、一宮城などが有るようです。最近発刊された『静岡県の城跡』に掲載された縄張図と、以前訪れた時に参考にした「静岡の山城ベスト50を歩く」の縄張図が同一の城址とは思われない程に異なっていましたので、確認のために再度訪れました。


真田城 新東名の遠州森町SAにETCの出入り口が出来て見学が便利になった
 真田城は当初は武藤氏によって築かれたといわれますが今川、武田、徳川の勢力が入れ替わり入ったため、今見る真田城の姿はその後の改修を経ているとされます。城址遺構の状況から、武田軍が侵攻し陣した時の遺構の可能性が高いとされているようです。


真田城 宮川に架かる橋も案内板も無くなっている
 以前訪れた時に在った宮川に架かる見学ルートの橋と案内板が無くなっていました。森町のHPから問い合わせをしたところ「9月の15号台風の水害で橋などが流失した。真田城見学の別ルートは設定されていない。復旧の見通しは立っていない。」との回答をいただきました。


真田城 別ルートで見学する
 橋と案内板のあったルートが失われていましたので、ルートbで登りました。ちょっと大回りだったようですね。


真田城   下山はルートcで下る   城道の可能性あり
 ルートは宮川を渡る古い道があったようで,簡易な橋に出ましたが建設工事の現場事務所があり駐車スペースはなさそうでした。


真田城 ルートdは道路からの林道がありました
 途中までたどってみましたが時間の制約があり見届けていません。ここは路肩に駐車出来そうでした。


真田城 虎口Eを通る城道はルートCと同じ可能性あり
 往時の城道はルートと概ね同じだった可能性がありそうでした。今回の参考資料は(1)『静岡県の城跡』静岡古城研究会刊2022 (2)「静岡の山城ベスト50を歩く」加藤理文・中井均編2009 (3)『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978  などです。


真田城 大堀切D 人物との比較で深さが想像できる      見どころです!
 真田城の見どころのナンバー1はこの大堀切です。上幅10mで東尾根を断ち切っていました。Ⅰ郭の東辺切岸も見事に残っていました。
 

真田城 城道は虎口E→通路F→虎口Bを通りⅠ郭(主郭)に入る 南から 右に土塁②
 虎口Eから2度折れてⅠ郭に入る構造は枡形虎口といえるようにも思いますがどうでしょう。土塁②北端部に開口部イがあり大堀切Dに通じていましたが、後世の破壊道の様でした。


真田城 虎口B 奥上にⅠ郭 右手上に大土塁① 東下から
 通路Fから虎口Bを通過する侵入者に対して大土塁①上からの攻撃をし続ける構造で守りを固めていたと思われます。


真田城 Ⅰ郭(主郭) 南から   右に大土塁① 石の小祠と仏像群が祀られている
 Ⅰ郭は丁寧に削平されていました。大土塁①は尾根の削り残しの様でした。祠と仏像群の周りは踏み固められているためか、手入れがされているためか雑草もほとんど生えていませんのでお参りの人が今でも有って現役かもしれないと思いました。


真田城 Ⅰ郭 石の小祠と仏像群
 小祠を取り巻くように小さな焼き物の仏像が配置されていました。どんな信仰かわかりませんが、珍しい光景で後世のものだと思いました。


真田城 Ⅰ郭 謎の土坑群 4つの土坑が正方形に並ぶ
 ほぼ2m間隔で正方形に4つの土坑が並んでいました。土坑の直径は1.8m~2mくらいでほぼそろっていました。どの資料にも取り上げられておらず、何の目的の穴かわかりませんでした。城郭遺構ではないのかもしれませんね。


真田城 虎口C 右に土塁④ 北から  シダで覆われ良く見えない
 Ⅰ郭北西隅には西側に通じる虎口Cが設けられていました。Ⅰ郭の西側は防御の施設が殆どなく 、あ い う え などの将兵の駐屯地とされる平場で、水場⑤にも通じていたと思われます。


真田城 横堀⑧と土塁⑨ 西から
 真田城はⅠ郭北辺と南辺を横堀と切岸と土塁で守りを固めていました。北辺の土塁⑨と⑩は現在分断されていますが付近の地形から見ると往時はつながっていた可能性がありそうでした。


真田城 Ⅰ郭南辺の横堀Aと切岸   右に土塁⑥  西から
 Ⅰ郭南辺では横堀Aによって造り出された切岸が明瞭に残り、守りの要が切岸だったことが確認できました。土塁は掘った土を積み上げてあるようでした。 


真田城 平場⑦ 土塁⑥外側 シダが覆っていて見えない
 三河山間部の日当たりの良い場所にはシダが繁茂している場合が多く、残念ながら平場⑦も地形がよく見えませんでした。


真田城 水場⑤ 今も水が涌いている
 水場⑤の湧水は豊富のようで、流れ出た水によって山肌が竪堀状に大きく削られていました。武田軍が陣した時には多数の将兵が入ったとされますので他にも水場があったと思われますが未確認です。


真田城 平場お の犬走⑯ 南から 
 犬走は城郭遺構の確認ポイントとされます。平場 は大堀切Dの外側にあり兵の駐屯地と考えてもよいのか迷いますが、犬走⑯を見ると城郭遺構と見て良いのかもしれないと思いました。

城郭西側に守りの設備がほとんどないのは、ヒョットすると西下を流れる宮川を堀に見立てて、山下にも将兵が多数駐屯したためかもしれないと想像してみましたがどうでしょう。

縄張図の描き方は、作図者の方の個性が出るものですが、真田城の場合は資料による差がとても大きかったので再度見学して確かめました。結論としては資料(1)の縄張図で見学するとわかりやすかったです。
 従来の見学路の橋が水害で流されていたというハプニングがありましたが、別のルートから見学することになり、真田城を堪能することが出来良かったです。