先日読んだあちらにいる鬼のモデルである井上光晴という作家に興味を持って、この本を借りてみた。
恥ずかしながら、私はこの人を知らなかった。
では、読後メモを。
基本的に、口語体。
それもそのはず、どうやら、彼の講演を文字起こししたものを加筆訂正したもののようだ。
まず、強く心に残ったのは、41~42ページにかけての、先の一連の戦争における史観。
南京虐殺はあった、日本人は朝鮮民族を弾圧、侮辱してきた、天皇は謝罪すべき、というところまで言及している。
これが、いわゆる自虐史観の範疇に入るものかどうかは、私には判断しかねるが、昨今の右翼思想の人たちの主張する「南京虐殺は無かった」という史観とは真逆のこと。
述べられたのが1984年という背景も考え合わせれば、やはり、凄い御仁だと思わざるを得ない。
その個所を貼り付ける。
興味がある方は、拡大してご覧になればよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/15/044df1462c0d00ac17b51af54ac7e7a3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/64/a9a0781adf8537a9dc83c64bfb666390_s.jpg)
後は、「小説の書き方」と言うよりも、考え方と、それにまつわる自分の過去の文章の羅列に終始したような・・・
要するに、各論ではなく、総論ですな。
その中で、琴線に触れたものを残しておく。
・表現とは生き方
・自らの原体験を持続して離さない
その姿勢と思想が表現になって形成される
・表現の技術とは、生き方として、魂のこもった技術だと言ってもいい
・会話は飽くまで素朴なやりとり
リアルで個性的で話し手の特徴を備えてなければならない
・自分の周辺に起きた出来事からどんな風な物語を創り出せるか
それがフィクションの原点であり想像力の才能
結論でござる。
やっぱ、会話力かな。
説明的でなく、ありきたりでなく、それでいてごく自然なやりとり。
自分でそうした遊びを試みるとき、「そこが巧拙の差なんやないかなぁ」
こう考えてきたから、我が意を得たりの感を抱きつつ読了・・・
![]() | 小説の書き方 (新潮選書) |
井上 光晴 | |
新潮社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます