宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

回天という名の人間魚雷特攻

2019-08-15 13:41:13 | 徒然
 朝日新聞令和元年8月11日発行朝刊の21ページ。



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 回天と名付けられた特攻兵器の搭乗員として志願した元慶応大生。
山口県周南市大津島から潜水艦で出撃。
だが、その潜水艦自体が行方不明となり、特攻予定だった昭和20年1月21日が命日とされた。
その最後の肉声が、大津島の回天記念館で聴けるという内容。



 もう随分昔の初夏、縁あって只只というまるで別荘の様な宿に泊まった。
只々海を眺めるだけの宿を堪能した翌日、直ぐ近くの人間魚雷「回天」の基地跡を訪ねた。

小さな山をくり抜いた隧道を抜けた先にそれはあった。
記念館と、基地跡。
他に見物客は居なかった。

当時、隊員たちは、その隧道を抜けて出撃していったそうな。
季節といい、隔絶感といい、私はすっとタイムスリップした。
そして、観光気分で訪れた自分を恥じた。


 特攻と言えば、航空機もろとも敵戦艦に体当たりという零戦特攻が有名。
それが、人一人が腹這いになって乗り込むスペースしかない狭い魚雷を操縦して、ソナー音を頼りに突っ込むという。

勿論、どちらも凄い気力だろうが、正直、回天の特攻は、想像するだにキツイ。



 私は昭和31年生まれ。
終戦が74年前の今日。
74年と言われれば、随分昔のように感じるが、生まれた年を起点とすれば、たったの11年前(昭和20年)のこと。
今の感覚として、11年前と言えば、つい昨日のことだ。


 その「つい昨日」の時代にこうした先輩がおられたことを、私は忘れない。
一方、国を挙げてその方向に突き進んだ時代の空気に体を張って逆らった人達もいる。
これも、物凄い勇気と根性だと思う。


 対極にある男たち。
どちらも凄いと思う。

残念なのは、付和雷同して、時代をすり抜けていった人たちが大半だったこと。
戦争という緊迫した状況下では、人は狂うという。
狂わなければ耐えられないのかも知れない。
いや、狂った方が楽なのかもしれない。

 体制に迎合しない、自分でしっかり考える。
昨日、録画してあった独裁者ヒトラー 演説の魔力を観て、その思いを新たにした。

体制に流れた方が楽だ。
それに逆らえば、不利益が生じる。
これが小市民の偽らざる心境だろう。

しかし、そんな人間ばかりになると、また戦争に巻き込まれる。
空気を読まない、一人一人が、しっかり自分で考えて、自分の意見を持つ。
馬鹿でも愚鈍でもいい、愚直に自分の信ずる思いに殉じて生きる。
私はそんな人達の中の一人でありたい。


 終戦記念日に・・・


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