変な題名・・・と思っていた。
どうやら「巻き添え」という意味らしい。
え?そんなの常識?
ボキャブラリーの貧しさを露呈してしまったかな
ジェイミー・フォックスなんて役者もこれで初めて見た。
そりゃそうだ。
この10年余りはまともに映画なんて観たことない。
(ちょっと大げさ、そりゃ少しは観てるが、昔ほどではない。)
大体がジェイミーの方が悪人顔ではないか?
ピカレスクロマンという言葉があったような。
まあ、そういうことならトム・クルーズの悪役に値打ちがあるのだろう。
最高にカタルシスを感じたシーン。
殺し屋に巻き添えを食わされたタクシー運転手が助けを求めた先が
なんと小悪党の二人組で、助けるどころか逆に鞄を強奪していく。
その鞄の持ち主である殺し屋がすんでのところでその場に戻って
くる。
自分の鞄を取り返そうとその二人組を呼び止める。
二人組は拳銃という武器と数の優位でもって嵩に懸かってくる。
これまで何度もそうして強奪を繰り返してきたに違いない悪党だ。
殺し屋はホンの一瞬のスキをついて二人とも撃ち殺す。
そして、ここからが秀逸なのだが、
鞄を取り返したその一連の動作の中でだめ押しの一発を偉そうに
言った悪党の顔めがけてそれを見もせずに放つ。
事前に一人につき2発ずつ手練れの技でお見舞いしていて、とどめ
を刺す必要はない筈だ。
だから、余分の1発は感情の発露だったのか?
この1発がピカレスクの醍醐味のように思えた。
多分多くの人間の中に潜む破壊願望は、理性というコントロールシス
テムによって制御されている。
でも、その刹那には確実にアドレナリンはたぎる。
それの持って行き所次第で常識人と犯罪者とに道が分かれる。
いっそのこと狂気のおもむくままに行動に移してしまえば面白かろう
と思わなくもないこともある。
我ながら危ないことを言っている
まあ、そんな思いもあるということである。
だからピカレスクロマンなんて言葉があるのだろう。
そういう意味では、映画の中で疑似体験することでスカっとする
程度にとどめておくべきであるし、事実カタルシスを味わった
ということを言いたいのだろう私は、多分。
勿論この映画のテーマはもっと先の、サイボーグのような殺し屋
と、真逆のタクシー運転手との奇妙な連帯感と、それによって
精密機械が壊れていく様の心理の機微にあるのだろうが、
私には単純に疑似体験による憂さ晴らしになった。
日常に潜む狂気というテーマで思い出したのが、ドストエフスキー
の「罪と罰」。
主人公ラスコールニコフはなぜ老婆を斧で殴り殺さねばならなかった
のか。
30年前に1回読んだきりなので詳細は思い出せない。
もう一度読んでみる必要がありそうだ・・・
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