
海兵隊の実戦演習が終わったので、ここまで来ることが出来ました。
第1航空艦隊司令部の防空壕です。
アメリカ空軍のマークRも見えました。
このマークは、原爆を積んだB29にも付いていましたねー。
防空壕の中です。
ここに座って、空襲を過ごしたことはあるのでしょうか?
孫たちは、占領後はB29も使用したと言われる、第1航空艦隊の管制塔前滑走路に立っています。
遠くに小さく見える建物が「航空管制室」です。
昨日まで海兵隊がキャンプを張っていた「日本海軍第1航空艦隊司令部」の建物です。
板が張ってありますが、島にいる日本人は、「歴史として残る建物跡に板壁等を造るとはとんでもない」と怒っていました。
昨日まで使用していたと思われる品物が、置かれていました。
ゴミも袋に入れてあり、まだ片付けが済んでいないようでした。
この説明版が泣きますねー。
遠くにテニアン航空隊の管制室が小さく見えています。
この管制室は玉砕後、日本空襲B29の管制にも使用されたと記録されています。
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