白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

サイパン空路ノースウエストの時代⑥(2006年頃)

2011-01-07 11:05:44 | テニアン今昔
白爺が大好きだったJALが、今度はノースウエスト航空に変わってしまいました。



サイパンとテニアンの間を飛ぶ飛行機も、西濃運輸のカンガール便飛行機もありましたが、この時期になると概ねフリーダム便だけになってしまいました。

            

フレミングもレストランが約2倍に増築されて、現在の容貌になりました。



室内には、鉄板焼きが新設されました。

          

周囲はいろいろ変わりますが、白爺のテニアン別荘101号室だけは、昔のままの姿で残っています。



フレミングさん一家も、お元気で集まってくれました。

             

タガ族の遺跡付近にも、沢山の慰霊碑が建ちました。
この頃白爺はテニアン市長から、「慰霊碑をカロリナスに移設したいのだが・・」との相談を受けました。
「個々の慰霊碑の責任者が誰か分からないので、了承を貰うのはとても困難でしょう」
と答えておきました。



カロリナスには、神社の鳥居も建てられました。

              

そのほかにも沢山の慰霊碑が建つので、テニアン市長はここに慰霊碑を全部集めて公園にしたい考えもあるようです。



しかし、カロリナスに建つ慰霊碑は、悪戯をしたり金属を泥棒したりする者が出るようになりました。
市では門を造ってくれましたが、これで泥棒がいなくなるでしょうか?
巷では中国の人が、日本の慰霊碑を壊しているとの噂も聞きました。

           

支庁桟橋の浜は、昔のままの姿を残しています。
一時難破船の残骸がありましたが、この頃になると姿が見えなくなりました。



そして、中国語や韓国語で「監視員がいないから自分の責任で泳げ」という掲示板も立てられるようになりました。
日本人の肩身が少し狭くなったような感じをします。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿