「草むす屍」といって涙を流してから数日後です。
「南洋興発付近の勤労奉仕を終えた突撃隊が、カロリナスの戦跡を突貫工事で清掃し作業完了」との報告をLさんが持ってきました。
玉砕跡の洞窟を知らないといっていたMichiさんを同道して、再びカロリナスに出掛けました。
到着してビックリ!。
草生していた戦跡は、綺麗に整備されていました。
前回の写真と見比べてください。
この方が、突撃隊の隊長さんです。
白爺たちは、感謝!感激!最大のお礼を言いました。
前回車を停めたところも、グランドのようになっていました。
洞窟の回りも、草一つ生えていません。
眠っている兵隊さんも喜んでいることでしょう。
洞窟まで下りる道も、安心して歩けるようになりました。
この洞窟の中が3段とも4段とも言われる大きな洞窟になっていて、3段以降には鍾乳石が沢山あると白爺の弟が話していました。
3段目以降は縄梯子などを利用して下りるらしいのですが、「下りる時は簡単だが登る時には自分の体の重みで大変な苦労をするよ」とも話していました。
炊飯釜の周辺も見違えるくらいに綺麗になっています。
Emiiは危ないからと入口に待たしておいて、1段目の洞窟まで入りました。
1航艦司令長官角田中将も、この洞窟を歩いたことがあるのだと思うと感無量です。
4段目の洞窟には、司令長官が使用した岩のベットがあるそうですが、白爺は見たことがありません。
こんな話もあります。
①「司令長官は自決する時洞窟内の人に迷惑を掛けないように、この洞窟から一人だけで出て、ジャングル内で自決をした。」
②「司令長官は、助けに来た日本の潜水艦に乗って遁走した」
という2説です。
白爺は、沖からは米軍の艦船が無数に艦砲射撃をし、陸上では海兵隊が火炎放射器で攻めている。
このような状況の中で、潜水艦が接岸するなど不可能と断言できる。
従って「①の説が本当である。」と断定しています。
MichiさんとLさんはスイスイ進んでいきますが、白爺は靴が滑ってヨチヨチしていました。
奥の割れ目が2段目の洞窟に下りる場所なのでしょうが、今日はここでストップ。
Michiさんは、もっと下りたいような顔をしていましたが・・。
岩の上には編上靴 (兵隊さんは「へんじょうか」と言っていた)の底が残っていました。
この靴は陸軍の兵隊さんが履いていたものでしょう。
話は横にそれますが、この穴から他の穴に逃げたので助かった沖縄の幸喜さんに、今回テニアンで偶然会いました。
この洞窟も、その方の砂糖キビ畑の中にあったのだそうです。
その方の話を伝えましょう。
①最初家族でこの洞窟に隠れたのだが、そのうち民間の人たちが沢山入ってきた。
②更に戦争が激しくなると、航空隊・海軍・陸軍それぞれの兵隊さんが逃れてきて、
「子供が騒ぐと敵兵に見つかる」と煩く言い出した。
③自分達は、両親とこの洞窟から出て他の洞窟に隠れ直したが、
水を飲みたくて水を飲んでから死のうと思い米軍に降参した。
ということでした。
白爺は洞窟内の写真を写したのですが、Michiさんが丸い球が写真の中に見えないかというので確かめました。
すると、写真の中に丸い球が写っていました。
皆さんも見えると思いますが、この球は「ここで亡くなった方の魂と言われている」とMichiさんが教えてくれました。
「オーブ」というのだと教えられたので、インターネットで調べてみました。
すると
①心霊写真の一種である。
②また、フラッシュを発光した際にストロボ光が空気中の水分・ホコリなどに反射し発生する現象とも考えられる。
と書かれていました。
さて、どうしよう?
でも、白爺は②の説を採りたいと思っています。
・・が ここで死んだ人もいるし・・・
今日はここまで。
「南洋興発付近の勤労奉仕を終えた突撃隊が、カロリナスの戦跡を突貫工事で清掃し作業完了」との報告をLさんが持ってきました。
玉砕跡の洞窟を知らないといっていたMichiさんを同道して、再びカロリナスに出掛けました。
到着してビックリ!。
草生していた戦跡は、綺麗に整備されていました。
前回の写真と見比べてください。
この方が、突撃隊の隊長さんです。
白爺たちは、感謝!感激!最大のお礼を言いました。
前回車を停めたところも、グランドのようになっていました。
洞窟の回りも、草一つ生えていません。
眠っている兵隊さんも喜んでいることでしょう。
洞窟まで下りる道も、安心して歩けるようになりました。
この洞窟の中が3段とも4段とも言われる大きな洞窟になっていて、3段以降には鍾乳石が沢山あると白爺の弟が話していました。
3段目以降は縄梯子などを利用して下りるらしいのですが、「下りる時は簡単だが登る時には自分の体の重みで大変な苦労をするよ」とも話していました。
炊飯釜の周辺も見違えるくらいに綺麗になっています。
Emiiは危ないからと入口に待たしておいて、1段目の洞窟まで入りました。
1航艦司令長官角田中将も、この洞窟を歩いたことがあるのだと思うと感無量です。
4段目の洞窟には、司令長官が使用した岩のベットがあるそうですが、白爺は見たことがありません。
こんな話もあります。
①「司令長官は自決する時洞窟内の人に迷惑を掛けないように、この洞窟から一人だけで出て、ジャングル内で自決をした。」
②「司令長官は、助けに来た日本の潜水艦に乗って遁走した」
という2説です。
白爺は、沖からは米軍の艦船が無数に艦砲射撃をし、陸上では海兵隊が火炎放射器で攻めている。
このような状況の中で、潜水艦が接岸するなど不可能と断言できる。
従って「①の説が本当である。」と断定しています。
MichiさんとLさんはスイスイ進んでいきますが、白爺は靴が滑ってヨチヨチしていました。
奥の割れ目が2段目の洞窟に下りる場所なのでしょうが、今日はここでストップ。
Michiさんは、もっと下りたいような顔をしていましたが・・。
岩の上には編上靴 (兵隊さんは「へんじょうか」と言っていた)の底が残っていました。
この靴は陸軍の兵隊さんが履いていたものでしょう。
話は横にそれますが、この穴から他の穴に逃げたので助かった沖縄の幸喜さんに、今回テニアンで偶然会いました。
この洞窟も、その方の砂糖キビ畑の中にあったのだそうです。
その方の話を伝えましょう。
①最初家族でこの洞窟に隠れたのだが、そのうち民間の人たちが沢山入ってきた。
②更に戦争が激しくなると、航空隊・海軍・陸軍それぞれの兵隊さんが逃れてきて、
「子供が騒ぐと敵兵に見つかる」と煩く言い出した。
③自分達は、両親とこの洞窟から出て他の洞窟に隠れ直したが、
水を飲みたくて水を飲んでから死のうと思い米軍に降参した。
ということでした。
白爺は洞窟内の写真を写したのですが、Michiさんが丸い球が写真の中に見えないかというので確かめました。
すると、写真の中に丸い球が写っていました。
皆さんも見えると思いますが、この球は「ここで亡くなった方の魂と言われている」とMichiさんが教えてくれました。
「オーブ」というのだと教えられたので、インターネットで調べてみました。
すると
①心霊写真の一種である。
②また、フラッシュを発光した際にストロボ光が空気中の水分・ホコリなどに反射し発生する現象とも考えられる。
と書かれていました。
さて、どうしよう?
でも、白爺は②の説を採りたいと思っています。
・・が ここで死んだ人もいるし・・・
今日はここまで。
オーブのことは戦跡研究家のYさんから聞きまして、科学的には②の方ですが気持ち的には「霊を尊重しましょう。」と言う事で両方正解!
ここにもまだ遺骨が残っていましたね。
戦跡を見て歩く時は
①塩、水、または線香を持ち歩く。
②戦跡から何も持ち帰らない。
③戦跡を離れる際には「私について来ては行けませんよ~。」と念を押し成仏を祈る。
それらの気持ちが大切とYさんから教えられました!
確かに、英霊が眠ることも事実ですから、一人で信じることが大事なのでしょう。
でも、あれだけ沢山の人が洞窟に入っているのに、なぜ今頃遺骨が現れたのでしょうねー。
周りを美しくしたので、顔を出してきたのでしょうか?
「靖国神社に帰りたい」と言っているようにも感じてきました。