Michiさんの車は、ブロードウエーを快適に北上して走っています。
やがて、左手に日の出神社の鳥居が見えてきました。
今満開の南洋桜が白爺たちを迎えてくれています。
今日は「日本海軍第1航空艦隊司令部」の跡を探検に行くことになっています。
更に進むと、今でも米軍が実弾演習に使用している東海岸磯の、鉄条網が見えてきます。
これを過ぎると、テニアン観光名所になっている、「潮吹き海岸」が右手に現れます。
豪快な太平洋の潮吹きが見えたら、車を左折して暫らく走ると、日本各地に大空襲をしてくれた、B29の滑走路に入ります。
滑走路の入り口には、西部劇にでも出てくるような看板が立っていました。
「A滑走路エーブル」です。今でも使用できるほどの滑走路で、一番大きいと感じました。
Michiさんの名ガイドでは、テニアン島のB29滑走路は「ABCD」4本あるのだそうです。
そして、各滑走路には、それぞれニックネームが付けられていたのだそうです。
A滑走路=エーブル
B滑走路=ベーカー
C滑走路=チャーリー
D滑走路=ドック
だそうです。
「B滑走路ベーカー」です。
両側から蔓草が生えていますが、この蔓を除けば大きな滑走路に早変わりするのでしょう。
「C滑走路チャーリー」です。
この滑走路も、すぐに使用できそうでした。
「D滑走路ディビッツ」です。
この滑走路の両側には、タガンタガンの木などが茂っているようでした。
日本各地にB29で攻撃していた時の「テニアン基地」です。
左から、ABCDの滑走路になっているそうです。
ここから広島・長崎の原子爆弾を抱えたB29が飛び立ったのだと思うと、複雑な気持ちになりますねー。
フレミングホテルのレストランには、英語で説明の書いてある写真が張り出されています。
日本海軍航空隊の作戦指令を、本来なら練っていた航空艦隊司令部の跡です。
米軍の猛攻にも土台だけは確りと残り、現在にその姿をとどめているのを見て、白爺は「日本海軍の意気?を示しているのだ」と土台が語っているように感じました。
裏に回って眺めた、司令部跡です。
司令部の少し離れた場所に、米軍の猛攻にも耐えた防空壕が並んでいました。
誰かに一部を壊されていた「原子爆弾搭載設備」は、今回行ったら修復されていました。
ここで原子爆弾を搭載したと書かれている説明です。
この穴の上に、原子爆弾は置かれてB29に搭載されたのです。
「ノーモア・広島(長崎)」は、攻撃を受けた広島(長崎)の被害設備を眺めて叫ばれることが多いのですが、本当なら原爆を搭載したこの設備を眺めても叫ばなければならないのではと、白爺は思いました。
近くのタガンタガンの木陰に、写真のような物体が数本散乱していました。
白爺は、日本軍が攻撃用の魚雷に似せて造った、「擬似魚雷」ではないかと言ったのですが、実際は柵に使用した柱のようでした。
電信柱にテントを被せて、大砲に偽装していた引揚船に乗った白爺は、時々変な疑いを抱くので反省します。
本当の魚雷は、こんな形をしていました。
この魚雷はサイパンのバンザイ岬で写しました。
詳しい写真はこれを見てください。
次は、「日本海軍第1航空艦隊Ⅱ 発電所」の予定です。
やがて、左手に日の出神社の鳥居が見えてきました。
今満開の南洋桜が白爺たちを迎えてくれています。
今日は「日本海軍第1航空艦隊司令部」の跡を探検に行くことになっています。
更に進むと、今でも米軍が実弾演習に使用している東海岸磯の、鉄条網が見えてきます。
これを過ぎると、テニアン観光名所になっている、「潮吹き海岸」が右手に現れます。
豪快な太平洋の潮吹きが見えたら、車を左折して暫らく走ると、日本各地に大空襲をしてくれた、B29の滑走路に入ります。
滑走路の入り口には、西部劇にでも出てくるような看板が立っていました。
「A滑走路エーブル」です。今でも使用できるほどの滑走路で、一番大きいと感じました。
Michiさんの名ガイドでは、テニアン島のB29滑走路は「ABCD」4本あるのだそうです。
そして、各滑走路には、それぞれニックネームが付けられていたのだそうです。
A滑走路=エーブル
B滑走路=ベーカー
C滑走路=チャーリー
D滑走路=ドック
だそうです。
「B滑走路ベーカー」です。
両側から蔓草が生えていますが、この蔓を除けば大きな滑走路に早変わりするのでしょう。
「C滑走路チャーリー」です。
この滑走路も、すぐに使用できそうでした。
「D滑走路ディビッツ」です。
この滑走路の両側には、タガンタガンの木などが茂っているようでした。
日本各地にB29で攻撃していた時の「テニアン基地」です。
左から、ABCDの滑走路になっているそうです。
ここから広島・長崎の原子爆弾を抱えたB29が飛び立ったのだと思うと、複雑な気持ちになりますねー。
フレミングホテルのレストランには、英語で説明の書いてある写真が張り出されています。
日本海軍航空隊の作戦指令を、本来なら練っていた航空艦隊司令部の跡です。
米軍の猛攻にも土台だけは確りと残り、現在にその姿をとどめているのを見て、白爺は「日本海軍の意気?を示しているのだ」と土台が語っているように感じました。
裏に回って眺めた、司令部跡です。
司令部の少し離れた場所に、米軍の猛攻にも耐えた防空壕が並んでいました。
誰かに一部を壊されていた「原子爆弾搭載設備」は、今回行ったら修復されていました。
ここで原子爆弾を搭載したと書かれている説明です。
この穴の上に、原子爆弾は置かれてB29に搭載されたのです。
「ノーモア・広島(長崎)」は、攻撃を受けた広島(長崎)の被害設備を眺めて叫ばれることが多いのですが、本当なら原爆を搭載したこの設備を眺めても叫ばなければならないのではと、白爺は思いました。
近くのタガンタガンの木陰に、写真のような物体が数本散乱していました。
白爺は、日本軍が攻撃用の魚雷に似せて造った、「擬似魚雷」ではないかと言ったのですが、実際は柵に使用した柱のようでした。
電信柱にテントを被せて、大砲に偽装していた引揚船に乗った白爺は、時々変な疑いを抱くので反省します。
本当の魚雷は、こんな形をしていました。
この魚雷はサイパンのバンザイ岬で写しました。
詳しい写真はこれを見てください。
次は、「日本海軍第1航空艦隊Ⅱ 発電所」の予定です。
パパとではなく昔の彼氏とですがね。
懐かしいなーぁ
4本の滑走路の名前はアメリカ第6爆撃隊の資料によると
A ("Able"), B ("Baker"), C ("Charlie") and D ("Dog").
となっています。DはDavidと言われる方もいますが、どちらが正解かわかりませーん。
今回は滑走路内を車で強引に進んで行きましたが、今は雨季で雑草が生い茂り、車では無理かもしれません。
ノニはもっと繁っていることでしょう!
雨が多いらしいですねー。
滑走路にも蔓草が伸びてきたことでしょう。
ホーンさんが心配です。
冗談の口喧嘩ができなくて淋しいかったです。