アメリカの歴史学者デビット博士から、久しぶりに写真添付のEメールが入りました。
添付されていた写真はこの写真ですが、米軍がテニアン上陸直前に撮影したもののようです。
そして写っている建物などの詳細が知りたいと言われました。
更にEmiiが生まれた場所が「マルポ22番地」であることが判っているので、数字を記入してくれました。
(22番地は最初の写真赤枠が正当ですが)
白爺は、早速Emiiの記憶と南洋興発の資料を借りて、それぞれの氏名を挿入する作業にかかりました。
小学校や興発の酒保等を英語に翻訳して、写真に記入するのは結構時間がかかりました。
それでもEmiiの記憶良さに助けられて、各農家の名前も記入することが出来ました。
挿入した文字はブログでは読めませんが、補足すると赤線のようなことを記入しました。
Emiiが5年生まで過ごした家や赤線で囲った6町歩(約6ヘクタール)の農地も説明に追記しました。
後日デビット博士からは、丁重なお礼の挨拶をいただきました。
そして、来年1月には又テニアンで再会したいとの依頼もうけてしまいました。
(それまでに「敵国語」マスターできるかな)
添付されていた写真はこの写真ですが、米軍がテニアン上陸直前に撮影したもののようです。
そして写っている建物などの詳細が知りたいと言われました。
更にEmiiが生まれた場所が「マルポ22番地」であることが判っているので、数字を記入してくれました。
(22番地は最初の写真赤枠が正当ですが)
白爺は、早速Emiiの記憶と南洋興発の資料を借りて、それぞれの氏名を挿入する作業にかかりました。
小学校や興発の酒保等を英語に翻訳して、写真に記入するのは結構時間がかかりました。
それでもEmiiの記憶良さに助けられて、各農家の名前も記入することが出来ました。
挿入した文字はブログでは読めませんが、補足すると赤線のようなことを記入しました。
Emiiが5年生まで過ごした家や赤線で囲った6町歩(約6ヘクタール)の農地も説明に追記しました。
後日デビット博士からは、丁重なお礼の挨拶をいただきました。
そして、来年1月には又テニアンで再会したいとの依頼もうけてしまいました。
(それまでに「敵国語」マスターできるかな)
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