司令部を後にした白爺たちは、次の探検場所である司令部の電力発電所に立ち寄りました。
「この建物は日本軍の電力発電所である」と記した案内板が建てられています。
この建物も、土台が崩れずに残っていました。
どうして日本海軍の建物土台は、戦後70年近く経過しているのに確りと残っているのでしょうねー。
中は焼かれたのでしょうが、柱は昔のままの形で立っています。
発電機のモーターが置かれていたと思われる場所がありました。
建物には、太い鉄筋が網の目のように張られています。
この鉄筋が、建物の崩壊を防いでいるのかもしれませんねー。
天井には焼け残ったと思われる木材もありました。
日本のケヤキ材でも使用されているのでしょうか?。
アメリカ松では、今まで残っていないでしょう。
一箇所、攻撃で壁が壊されている場所がありました。
外から明るい光が入ってくるので眩しい位です。
確度を変えて眺めたら、芸術作品かとおもわれる眺めになりました。
建物の見取り図が案内板に掲示されています。
見取り図にあるディーゼル・オイルのタンクは、本屋から少し離れた建物に残っています。
焼けた痕跡が見られないようなのですが、オイルが入っていなかったのでしょうか?
それとも、焼けてもこのように残っているのでしょうか?
付近のジャングルには、ドラム缶が沢山転がされていました。
シャングルには、ボージョレー人形の目に使う木の実が沢山生っていたので採っていたのですが、蜂の巣を見つけたので中止しました。
次は、「日本海軍第1航空艦隊Ⅲ 燃料庫・弾薬庫」の予定です。
「この建物は日本軍の電力発電所である」と記した案内板が建てられています。
この建物も、土台が崩れずに残っていました。
どうして日本海軍の建物土台は、戦後70年近く経過しているのに確りと残っているのでしょうねー。
中は焼かれたのでしょうが、柱は昔のままの形で立っています。
発電機のモーターが置かれていたと思われる場所がありました。
建物には、太い鉄筋が網の目のように張られています。
この鉄筋が、建物の崩壊を防いでいるのかもしれませんねー。
天井には焼け残ったと思われる木材もありました。
日本のケヤキ材でも使用されているのでしょうか?。
アメリカ松では、今まで残っていないでしょう。
一箇所、攻撃で壁が壊されている場所がありました。
外から明るい光が入ってくるので眩しい位です。
確度を変えて眺めたら、芸術作品かとおもわれる眺めになりました。
建物の見取り図が案内板に掲示されています。
見取り図にあるディーゼル・オイルのタンクは、本屋から少し離れた建物に残っています。
焼けた痕跡が見られないようなのですが、オイルが入っていなかったのでしょうか?
それとも、焼けてもこのように残っているのでしょうか?
付近のジャングルには、ドラム缶が沢山転がされていました。
シャングルには、ボージョレー人形の目に使う木の実が沢山生っていたので採っていたのですが、蜂の巣を見つけたので中止しました。
次は、「日本海軍第1航空艦隊Ⅲ 燃料庫・弾薬庫」の予定です。
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