白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
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お暇な人 寄っていって~。

南洋庁

2009-12-11 15:26:06 | テニアン
             パラオ島コロールにあった南洋庁の庁舎

今では「南洋庁」という言葉を知っている人は少なくなったことと思います。

南洋庁は、ヴェルサイユ条約(1919年6月28日にフランスのヴェルサイユで調印された、第一次世界大戦の講和条約)によって、日本の委任統治領となった南洋群島に設置された日本の施政機関で、1922年に開設され1945年の敗戦で事実上消滅しました。
所在地はパラオ諸島のコロール島。その下に支庁が置かれテニアン島は、サイパン支庁テニアン出張所でした。


        南洋群島統治歌 

白爺のところに残っている資料によると、勇ましい「南洋群島統治歌」もあったようです。

        

何故この資料を引き出したかといいますと、前回(*びけ*)ちゃんからのコメントで、テニアン校に「竹中先生」が居られたか?と聞かれたからです。
引き出した資料は、1941年(真珠湾攻撃の年)のものですが、南洋群島全部の職員記録が掲載されています。



国民学校の部も、島ごとに全部掲載されていました。

                 

テニアン島もテニアン校・カーヒー校・マルポ校・ハゴイ校に分けて掲載されています。
白爺は、先日(*びけ*)ちゃんに「竹中先生」は在校していなかったのでは?と回答したのですが、ちゃーんと掲載されていました。
(*びけ*)ちゃんにはここで訂正しておきます。 
当時の白爺は、小学4年生の時代で担任は「丸山先生」その他の先生も全て覚えているのですが、「竹中先生」だけは忘却していますねー。
菅原校長先生は「更に!更に!」が口癖で、訓示が長いため生徒は閉口していました。
園部教頭のお嬢さんは、白爺の初恋の人です。

          

この辞令は、白爺のオヤジがテニアンでは和裁の仕事がなくなったので、パラオに単身渡島してもらったものです。



本俸35円でも、いろいろな手当てがついて240円位は給料をもらっていたようです。
本人は幸い生き残りましたが、引揚げて来るまで全額白爺たちが引揚げた所に南洋庁から為替送金してくれていたので助かりました。
左の送金表は400円以上ですが、ボーナスが出た時かな?。

              

同じところに、パラオからテニアンの白爺に宛てに来た葉書もありました。
下に写っている紙切れは、終戦後配給になった「食料切符(パン用)」です。
珍しいでしょう。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お手数をお掛けしました!! (*ぴけ*)
2009-12-14 08:49:08
先日は当時の職員名簿まで出して頂きまして大変お手数をお掛けしました!名前がパラオ、ヤップ、ぺリリューと島ごとに掲載されているのには驚きですね!竹中先生の息子さんにもお知らせしたいと思います♪どうもありがとうございました(^▽^*)/
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よろしく伝えてください (白爺)
2009-12-14 10:23:45
びけちゃん
竹中先生の息子さんによろしくお伝えください。
その方は、白爺と一緒に通学していた年頃の方ではないでしょうねー?
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只今73歳です(^v^*)/ (*ぴけ*)
2009-12-14 22:23:29
息子さんは昭和10年生まれだそうです。竹中先生は写っていないのですが、奥さんと息子さん娘さんの二本椰子での写真を頂きました。http://crowsnests.blog9.fc2.com/page-1.html
お店のブログ『有意義な時間』に載っていますのでご覧下さい。同ページ『SaasⅡ』の写真は、先日Emiiさんとお話した『タカシマさん』です。偶然ホテルのツアーデスクから紹介して頂いたお客様でした!!
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