白爺の独り言

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由緒あるお寺で法要を(2014.09米子・皆生・宍道湖№2)

2014-09-07 08:00:04 | 親子旅

白爺たちは婿殿の父三回忌の法要のため、米子市にある宗道宗同慶寺に行きました。
庭には寺院改修前の大きな棟瓦が飾ってありました。 

外から見た本堂です。
建物は小さく見えますが、このお寺には昔の歴史が沢山刻まれているようです。 

         

本堂に入ります。
絢爛豪華な飾りが施されており、中央には本尊の観世音菩薩が祀られていました。
和尚様がこの寺の縁起を話してくれました。
1324年この寺を開いた藤井将監は、後醍醐天皇に味方して危うく捕らわれそうになったがこの地(お寺の所在地)へ逃れていた。
1332年後醍醐天皇は京都を出発、隠岐の島へ向った。
警護の者とこの地まで来た時、警護の千種忠顕と藤井将監が知り合いだったので、この地の藤井館に三日間逗留した。
三日後天皇一行は美保関まで進み、4月1日に隠岐の島へ流されることになった。

話はまだ続きます。
美保関で一行の身元調べが行なわれ、同行していた皇女の身元が見破られてしまった。
藤井の知人が皇女を連れて藤井館まで戻り皇女はこの館に逗留しすることになった。
数年後隠岐の後醍醐天皇が崩御されたと言う連絡が入ったので、皇女は慟哭して剃髪してしまった。 
その後「安養内法親王」と名乗り出家された。
その寺は同慶寺に近い安養寺である。 
とのことです。
天皇家と因縁がある同慶寺の須弥段には、中央に菊の紋・右側に宗道宗の紋が施されていました。 

       

境内にも観音様が祀られていました。

お地蔵様も鎮座しています。

        

白爺たちは、同慶寺に別れを告げ塔婆を持ってお墓に向いました。

お墓に塔婆を供えて御霊にお参りをし、三回忌の法要を無事終わることが出来ました。

 

 

 

 



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