ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

御室神社 武蔵武芝のこと

2014-01-21 23:44:24 | 史跡

・・御室神社

三室と言うところは、遺跡の宝庫のようです。縄文式の遺跡のみならず、弥生式の遺跡も発見され、発掘されています。貴重な”土器”の類は、夥しいほど発掘されており、考古学の徒には、垂涎の場所のようです。この場所に、氷川女体神社は存在します。そして、三室の高台から見下せば、昔は広大な沼の、今では干拓された、”みぬま"が広大に広がっております。

御室神社は、しかし三室の地ではなく、木崎という地に存在します。御室神社の御室は、地元では”おむろ”または”おんむろ”と呼ぶのだそうです。木崎は、見沼の縁の三室の地と近接しています。

どうも、”室”が暗示する意味は古代の墓、古墳に関係があるのではないかと、気になります。それと、御室と小室山と三室は、語源が共通するように思えて成らない。そして・・・、御室神社と小室山を含む地域は、すべて武笠家の所有の土地であった。

・・・御室神社・鳥居方面から

どうもここは、霊地のようです。祭神を確認すると、櫛名田比売(くしなだひめ)が祀られています。また、祭神の起草の署名の所に”西角井某”とあります。・・・どうも、氷川神社の末社の可能性がかなり高そうです。

 ・・・鳥居と祭神

 

浦和武笠家は、旧家として、この地方の大地主であった。それが、近代税法になって、大地主にかなりの資産税が掛かるようになり、併せて代が変わる時、莫大な相続税が発生し、払いきれなくなった武笠家は、税を「土地という物納」で収めた。・・・それでこの一帯は有数の新興住宅になった・・・三室にしても木崎にしても、閑静で瀟洒な、緑の多い住宅街になっています。

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武蔵武芝に拘るわけ・・・

昔、勉強した社会科の歴史の教科書に、「承平天慶の乱」というのがあって、平安時代中期のほぼ同時期に、関東での「平将門の乱」と瀬戸内海での「藤原純友の乱」で、朝廷に対して反乱を起こしたと教えられた。だが関東では、この反乱者はなぜか人気が高い。大学生の頃か、「将門記」という本を読んだ。・・・武蔵武芝が、地方で善政をしていたところ、京都から派遣された役人に武蔵を荒らされ、高税をかけられて苦しめられた、とあった。・・そして、武蔵武芝を助けたのが平将門・・・

「歴史とは、勝者の勝手で、不都合を隠蔽し、書き換えられてしまうのだ」と、かなり衝撃を感じた時の”きっかけ”が、武蔵武芝のこと・・・

ふと思うのは、いま「特定秘密保護法」という法律が出来そうな状況になっています。権力を持つものに不都合な事実は隠蔽されてしまう世の中になってしまうのでしょうか。

 武蔵武芝には、もう少しだけ、こだわってみます・・・

 

コメント
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