ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

弥生人の顔

2015-02-02 22:06:24 | 歴史

弥生人の顔


弥生時代の古墳から出土した土偶などの人面を見ていると楽しい。
ほんとうに、・・・こんな顔だったのか、、なんて疑わしいのが幾つもある。

 

犬みたい

 

彫刻家の”つくりかけ”? or 失敗作!


参考;遮光器土偶


 眼鏡なのだろうか ・・イマージュが膨らむと、たたらの火男やカナダのイヌイット!
 服装に拘ると ・・・ユーラシアの古代シュメール人
 挙げ句の果ては、”アラハバキ神” 
 ・・・・・ なーんて、これも弥生の古墳から出土なんです。

遮光器土偶以外は、埼玉の古墳から出土、遮光器土偶は東北(宮城/岩手/青森)から出土。

in 市立博物館

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弥生の風景 馬形埴輪

2015-02-02 18:07:42 | 美観・芸術

弥生の風景 馬形埴輪

市立博物館の展示場を徘徊していたら、馬が目に止まり、暫く釘付けになった。
かなり、体裁がいい・・・

人を乗せる鞍があるから農耕用ではなさそうだ。よく見ると、鐙(アブミ)もあるし轡(ハミ)もある。

「人と馬の関係・・・その起源は西アジアのイラン地方で始まったとされ、次第に人間が乗る「鞍」と馬をコントロールする「手綱や轡」が整備された。・・その例は、紀元前1000年頃から西アジアのアッシリアの浮彫などに見られます。・・やがて、中央アジアのスキタイ民族(B.C. 6~3世紀)などの影響で広くユーラシア大陸に拡がり、紀元前5世紀頃にはローマ軍でも重装歩兵と騎兵が一般的な存在となっていました。これが中国に伝わります。・・中国では、殷代後期に二輪車の戦車の使用が始まり、西周末期の紀元前八世紀頃から青銅や鉄製の轡がみられます。・・やがて春秋・戦国時代末期の紀元前四世紀頃から、騎馬戦法を駆使する北方遊牧民族の匈奴が中原にしばしば侵入するようになり、紀元前三世紀以降、漢代には中国の農耕民族と激しく対立していました。・・紀元後の後漢代になると、農耕民族が乗降り用の鐙を発明して、現在の馬具の形が完成された・・東アジアの乗馬の風習と馬具の源流はここに起源が求められ、4~5世紀には中国東北地方や朝鮮半島に馬の飼育を伴って拡大し、やがて日本列島にも伝えられた」とあります。

 


弥生の古墳に埋葬されていたと言うことは、弥生人にとって馬は宝物であったと言うこと。
見れば、なるほど”愛くるしい”。

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