岩槻は、「太田道灌」のつくった街? ・2
寺院 淨国寺
1587年(天正15年)岩槻城主太田氏房の開基、清巌の開山により創建されたという。早い時期から浄土宗の檀林が置かれ、江戸時代には浄土宗の触頭であった。
淨国寺の山門に、大きく「栴檀林(=せんだんりん)」の文字が浮かびあがる。
栴檀とは、成長の大きな「香木」のことで学僧に見立て、複数を林に例えた。つまり・・「漢学の学問所」を意味する大学なのだ。
太田氏房・・どうもこの人は、太田道灌の子孫ではなく、大田家の系統の氏資が戦死した後、戦勝した小田原北条の氏房が娘婿に入り、名跡を継いだという次第のようである。
・・・・ 氏房/北条 氏房は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。北条氏政の子。武蔵岩付城主。永禄8年(1565年)、北条氏政の子として誕生。生母は武田信玄の娘の黄梅院で、北条氏直の同母弟にあたる。 岩付城主・太田氏資が永禄10年(1567)に戦死したため、その娘を娶って太田氏の家督を継ぎ、太田氏房と ...
淨国寺:本堂
由緒・・
淨国寺:墓標・・
当然ながら・開基の太田氏房の菩提寺であります。
更に、江戸初期に岩槻藩藩主になった「阿部家」の墓もあります。
阿部家:墓標